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大阪高等裁判所 昭和55年(う)347号 判決 1983年2月10日

被告人 関谷勝利 ほか二人

主文

原判決中、被告人関谷勝利に関する部分を破棄する。

同被告人を懲役一年に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

同被告人から金一〇〇万円を追徴する。

原審における訴訟費用中、証人山岸敏明、同平野明彦に支給した分を除くその余の各証人に支給した分は、同被告人と被告人多嶋太郎、同多田清との連帯負担とする。

被告人多嶋太郎、同多田清の本件各控訴を棄却する。

理由

被告人ら三名の控訴趣意は、弁護人植垣幸雄、同仁藤一、同北山六郎ほか七名共同作成の控訴趣意書その一およびその二、昭和五五年一二月五日付誤記訂正申立書および昭和五六年二月二三日付追加誤記訂正申立書、弁護人植垣幸雄、同仁藤一、同北山六郎共同作成の控訴趣意補充書(一)および弁護人和島岩吉作成の控訴趣意補充書(二)、弁護人植垣幸雄、同仁藤一、同北山六郎共同作成の控訴趣意書の一部訂正の申立書に各記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官田淵文俊作成の答弁書記載のとおりであり、被告人関谷に対する検察官の控訴趣意は、検察官細谷明作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人北山六郎作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

各控訴趣意に対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

第一弁護人の控訴趣意について

一  原判決に理由のくいちがいがある、との主張について

論旨は、原判決には、左記の諸点について、理由のくいちがいがある、と主張している。そこで、以下において順次、所論の要旨を摘記し、これに対する判断を示すこととする。

1  「課税反対意思」に関する主張について

論旨は、要するに、昭和四〇年初頭以降本件金員供与時までの被告人多田、同多嶋の本件石油ガス税法案に対する反対意思について、原判決は、判示第六の三の1「課税反対意思」の項においては、課税の阻止ないし税額の軽減、課税実施時期の延期を求める一念であつた旨の認定をしているが、右判示の前提としたと考えられる判示第四の「本件犯行に至る経緯」の項においては、かかる課税反対の一念であつたことを窺わせる事実を全く認定しておらず、かえつて、大タク協(大阪タクシー協会の略称)では、昭和四〇年以降には、最重要課題として運賃改訂問題に取り組み、課税反対運動に対しては消極的であつたとの事実を認定しており、また、証拠上も、課税反対の一念であつたとの事実は認められず、原判決には、これらの点に理由のくいちがいがある、というのである。

しかしながら、原判決には所論の理由のくいちがいは認められない。以下、所論が具体的に指摘するところに従つて検討する。

(一) 所論は、まず、原判決は、課税九か月延期の自民党の党議決定に対する評価について、判示第四の33においては、昭和三九年一二月二二日開催の大タク協第三八回定例理事会においては「一応九か月延期を成功とみることについては異議はな」かつたと認定しているのに、判示第六の三の1においては、「この課税九か月延期の自民党の党議をそれまでの課税反対運動の一応の成果であるとして評価しようという意見が高ま」つたとのみ判示し、課税九か月延期の結論を成功とみるか否かの点について、微妙なニユアンスの差であるが、くいちがつた事実を認定している、というのである。

しかしながら、原判決文によると、所論指摘の判示第四の33の認定事実は、大タク協第三八回定例理事会の席上において、被告人多嶋が「延期九か月を成功とみるかどうか」と諮つたことに対する出席理事らの応答内容の判示であるのに対し、判示第六の三の1の認定事実は、課税九か月延期の党議決定後、いわゆる一億円献金および年末献金の実行が決定されるまでの過程における、大タク協理事や会員会社の意見の推移に関する判示であることは明らかであつて、両者は、評価の時期およびその主体を異にするから、理由のくいちがいにはあたらない、というべきである。

(二) 所論は、次に、原判決は、昭和四〇年に入つてからの大タク協における運賃改訂運動につき、判示第四の37、39、41、46、58、70、72および50において、その準備状況、ことに、それが極めて熱心にすすめられていた状況を具体的に認定しており、これらの認定事実、すなわち、大タク協においては、昭和四〇年一月七日以降同年七月ころまでの間、当面の重要課題として運賃改訂運動を採り上げ、六月申請を目標に具体的な準備をすすめ、その間値上げ申請の原価計算にLPG(液化石油ガスの略称。以下LPガスともいう)課税分が織り込まれていたこと、六月申請は実現しなかつたが、七月中ころには三〇パーセント値上申請が新聞に報道されるまでの状況に立ち至つていたこと、当時の大タク協においては、LPG課税はほぼ既定の事実とされており、最重要課題は運賃改訂申請にあるとして、着々と具体的準備をすすめていたこと、被告人関谷は、その実現の見込について、具体的な見通しを述べ、運賃改訂申請を急ぐよう助言していたこと、大タク協における課税反対運動は、全乗連(全国乗用自動車連合会の略称)在京幹部の要請にもかかわらず、極めて消極的態度であつたことなどの事実によると、原判決は、判示第四においては、大タク協における当面の最重要課題は、運賃改訂運動であつて、課税反対運動については極めて消極的であつたとの事実を認定したものとみうるのに、判示第六の三の1において、課税の阻止ないし税額の軽減、課税実施時期の延期を求める一念であつた、との事実を認定したことは、明らかに矛盾した認定である、というのである。

しかしながら、原判決のいう課税反対の一念であつた、ということの意味は、LPGに対する課税の阻止ないし税額の軽減、課税実施時期の延期などを、唯一無二のものとして希求していたということではなく、課税反対の意思が極めて強かつたということを端的に表現したものと解されるところ、たしかに、原判決は、判示第四の所論指摘部分において、昭和四〇年一月以降における大タク協の運賃改訂申請の準備状況につき、その主要な事実を日を追つて判示しているが、それとともに、判示第四の他の部分において、課税反対の意思ないし運動に関する具体的事実をも数多く判示しているのであつて、これら原判決の判示内容、とりわけ、運賃改訂と課税反対運動との関係、課税反対意思に関し要約判示した65の判示内容などに徴すると、原判決は、判示第四において、大タク協においては、自民党の党議決定どおりの課税が実施されることを懸念し、経営の安定を図るため、運賃値上申請の準備にとりかかつたものの、なお国会審議の場における業者に有利な変更を期待し、廃案ないし税率の軽減、課税実施時期の延期を求めるなど、課税に対する根強い反対意思を有していたとの事実を認定したものと解され、これを前提とし、判示第六の三の1において、課税反対の一念であつたと認定しているのであるから、原判示に所論のいうような矛盾はないものというべきである。

(三) 所論は、更に、原判決は、課税反対の一念であつたとの結論的事実認定の裏付けとして、(1)昭和三九年一二月二二日開催の理事会の席上での被告人多嶋の挨拶内容、(2)同年一二月二五日、東京赤坂の料亭「近松」に被告人関谷および寿原正一を招宴した際の寿原の発言と、これに対する被告人多田、同多嶋らの「宜しくお願いします」との発言をあげているが、右(1)の被告人多嶋の挨拶内容は、単なる希望的観測を述べたにすぎないものであり、右(2)の寿原の発言内容に関する認定じたいきわめてあやふやな記憶にもとづく供述によるものであり、仮に原判示のような言辞があつたとしても、それは酒席での政治家のリツプサービスとみるべきものであつて、このことは、判示第四の38の(1)および44の(1)において認定している事実からも、容易に肯定しうるところであつて、いずれも被告人多田、同多嶋の課税反対意思を裏付けるものではない、というのである。

しかしながら、所論は、原判決の挙示する証拠を、原判決とは異る立場で評価し、挙示の証拠と原判示事実とのくいちがいを主張するものであつて、原判決の事実認定を論難するものというべく、理由のくいちがいの主張にあたらないことは明らかである。

(四) 所論は、また、原判決は、判示第六の三の1において、被告人多田が課税反対の一念であつたことの裏付けとして、(1)大タク協の理事会の席上において、同被告人が課税反対のための運動内容、法案審議の進展状況などを聞知し、これを知悉していたこと、(2)自民党に対する一億円献金が本件石油ガス税法案を有利に導きたいとの意図のもとに行われたものとし、同被告人がこれに熱意を示していたことをあげているが、原判決が判示第四において認定したところによると、昭和四〇年一月から本件金員の供与が最初に協議されたとする同年七月二〇日までの間において、同被告人が出席した理事会で、LPG課税反対運動について報告があつたと認定されているのは、判示第四の37の同年一月一九日開催の第四〇回定例理事会と、判示第四の52の同年四月二〇日開催の第四六回定例理事会との二回にすぎず、証拠上第四六回理事会に同被告人が欠席していることが明らかである点をしばらく措くとしても、原判決に認定された右事実からは、同被告人が「課税反対のための行動や、その時々の法案審議の状況をよく知悉していた」旨の認定をなしうるものではなく、仮に、課税反対の運動状況などを知悉していたとしても、このことは、同被告人が課税反対の一念であつたことの根拠として不十分であり、また、一億円献金を賄賂であるかのようにいう原判決の判示じたいなんの論拠もない飛躍である、というのである。

しかしながら、原判決が、被告人多田が課税反対運動の内容などにつき聞知しえた機会を、大タク協の理事会の席上に限つた趣旨でないことは、原判決文に徴し明らかであるところ、原判決は、判示第四の32、33、37、40、41、64、81、82、83などにおいて、課税反対運動の内容、法案審議の進展状況などにつき、被告人多田がこれを知りえた機会のあつた事実を数多く認定しているから、これらの事情を同被告人が知悉していたことを同被告人が課税反対の一念であつたことの根拠の一つとしてあげた原判決には、なんらの理由のくいちがいはなく、また、原判決は、判示第四の66において、一億円献金の趣旨につき詳細に検討し、数ある趣旨の中には、LPG課税問題を業者側に有利にしたいという意図、趣旨もその一つとして含まれており、しかもそれがかなり大きな部分を占めていると認められる旨結論しているから、判示第六の三の1における一億円献金に関する判示を、なんの論拠もない飛躍という所論のとりえないことは明らかである。

2  「本件金員供与が行われた時期」に関する主張について論旨は、要するに、原判決は、判示第六の三の2「本件金員供与が行われた時期」の項において、昭和四〇年三月以降本件金員供与時までの課税反対運動の状況について、「全乗連から特に大タク協に対し課税反対運動に対する協力を要請されたこともあつて、大タク協としても当面の重要課題として会員会社をあげて、再び全乗連に協力して課税反対運動にとり組むこととし、被告人多嶋や谷源治郎、口羽玉人らLPG委員らが中心となり、東京で開催された業者大会に代表者を出席させ、関係官庁や国会議員らに対する陳情に加わるなどしてきており、本件金員供与の企ては、まさに、同多嶋ら大タク協幹部らが中心になり、大タク協をあげて行つていた当面の重要課題であつた課税反対運動を行つていたさ中に企て、実行されたものであることは明らかに認められるところである。」と判示しているが、判示第四の「本件犯行に至る経緯」の項においては、昭和四〇年初頭以降本件金員供与時までに大タク協が関与した課税反対運動の具体的事実およびこれに至つた経過等と全乗連が推進した課税反対運動の方針との間には重大なくいちがいがあつたこと、ならびに大タク協においては、課税は時間の問題として受けとめ、経営合理化の具体策として運賃改訂問題が最重要課題であるとの立場をとり、本件金員供与の前後ころには、むしろ大タク協の全組織をあげて、運賃改訂運動に取り組んでいたことを具体的な事実の経過として明確に認定しており、本件金員供与の当時、大タク協が会員会社をあげて当面の最重要課題としてLPG課税反対運動を行つていたと認められる事実はなんら認定されておらず、原判決にはこの点に理由のくいちがいがある、というのである。

しかしながら、原判決には所論の理由のくいちがいは認められない。以下、所論が具体的に指摘するところに従つて検討する。

(一) 所論は、まず、原判決は、大タク協の行つた運賃改訂運動について、判示第四の37、39、40、43、46などにおいて、大タク協では、昭和四〇年一月一九日開催の理事会において、運賃委員会に新しく専門委員を増強して運賃改訂作業にとりかかることを決定し、同年三月一六日開催の理事会においては、同年六月一〇日を目標に運賃改訂申請書を提出できるよう作業を行うこととし、同年三月二二日、大タク協の会長および運賃委員長名でその旨を会員会社へ通知して運賃改訂運動への協力を求め、ここに大タク協は会員会社あげて運賃改訂運動に取り組む姿勢を示し、以後、運賃改訂運動を当面の最重要課題として取り上げ、その具体的活動を活発に展開していた旨の事実を認定しているのに対し、昭和三九年一二月一八日の自民党の党議決定後一時休息状態にあつたとされている大タク協の課税反対運動については、その後昭和四〇年三月二六日、東京赤坂のプリンスホテルで開かれた全乗連の合同会議において、突然、課税額をトン当り一万七、五〇〇円から六、〇〇〇円に減額することを要望して関係各省や野党などにも陳情する方針であることを知らされた被告人多嶋らが、その是非を大タク協理事会に諮つた事実も認定しておらず、また、同年四月一四日、全乗連が海田LPG対策特別委員長を来阪させて、大阪側に課税反対運動への協力を要請したことについても、これを受け入れた旨の事実を認定していないのであつて、これに加えて、全乗連が正式に再度の課税反対の態度を打ち出した同年六月一〇日開催の全国ブロツク代表者会議には大タク協は欠席しているという証拠上明白な事実と、右会議において、東京、大阪に一任するとされた陳情書の作成、運動の方法等については、大タク協LPG委員会の谷、口羽正副委員長が上京して全乗連幹部と協議をしたのに、明確な結論がえられなかつたことなどの原判示の事実をも総合すれば、原判決は、判示第四の部分においては、全乗連が打ち出した再度の課税反対運動について、大タク協など運賃改訂運動に重点をおくべしとする大阪側は、これに同調していなかつたとの事実を認定したものとみることができるのであつて、これと「大タク協としても、当面の重要課題として会員会社をあげて、再び全乗連に協力して課税反対運動に取り組むことにし」た旨の判示第六の三の2における事実認定とは、明らかにくいちがつている、というのである。

しかしながら、原判決は、判示第四において、所論指摘の事実のほかに、昭和四〇年三月二六日開催の全乗連合同会議以後、本件金員が供与されるまでの間において、大タク協が全乗連と密接な連絡をとつて、課税反対運動をすすめていたことを窺わせる具体的事実を数多く判示しており、これらの事実、とりわけ、前記65のほか、本件金員供与の直前におけるものとして、74、76、79などにおいて判示している事実によると、大タク協が全乗連の課税反対運動に同調していなかつたとは到底みることはできず、これら課税反対運動に関する判示事実は、原判決が判示第六の三の2において判示している、大タク協は、当面の重要課題として会員会社をあげて、再び全乗連に協力して課税反対運動に取り組んでいたとの事実を裏付けるに十分であつて、原判決には所論の理由のくいちがいはない、というべきである。

(二) 所論は、次に、原判決は、判示第六の三の2において、大タク協では、全乗連に協力して再び課税反対運動に取り組むことにし、被告人「多嶋や谷源治郎、口羽玉人らLPG委員らが中心となり、東京で開催された業者大会に代表者を出席させ、関係官庁や国会議員らに対する陳情に加わるなどし」た旨の事実を認定しているが、判示第四においては、昭和四〇年四月一四日に海田が来阪して協力を要請した以後、本件金員供与時までに、大タク協が東京で開催された業者大会に代表者を出席させ、関係官庁や国会議員に対する陳情に加わつたとの事実を全く認定しておらず、この点にくいちがいがある、というのである。

しかしながら、原判示第六の三の2の所論指摘部分は、全乗連の海田委員長が来阪し、課税反対運動につき協力を要請した昭和四〇年四月一四日以後に限る趣旨ではないと解されるところ、原判決は、判示第四の48、60、79などにおいて、大タク協LPG委員らの、課税反対のための業者大会への出席、国会議員らに対する陳情の事実を認定しているから、原判決の所論指摘の認定事実には、くいちがいはないというべきである。もつとも、所論は、前記60の昭和四〇年四月八日開催の業者大会は、LPGの需給問題に関する大会であるから、原判決のいう業者大会にはあたらないというが、原判決は、同大会においては、LPガスの需給問題のほか、課税額軽減問題が取り上げられたとしているのであるから、原判決の判示じたいにくいちがいのないことは明らかである。

3  供与を取りやめ大阪に返送金した金額に関する主張について

論旨は、要するに、原判決は、献金予定の金封のうち、供与を取りやめ大阪に返送金された金額について、一方において、それが一八〇万円であつたという辻井初男の検察官に対する供述を信用性の高いものと評価し、それが一八〇万円であつた旨の認定をしながら、他方において、これに反する「沢春蔵が後援会長をしている議員分は沢春蔵に……預け、同人らから直接献金してもらうことにし、残りの二〇万円口四口分については、上京者中にその議員となじみのあるものがいなかつたため、大タク協事務局の方で右の四議員に届けるよう依頼して大タク協に送り返した」旨の被告人多田の供述をあげ、とくに沢春蔵に一〇〇万円を預けたとの事実を否定せず、当日東京から大阪に返送金された金額は八〇万円であつた旨の認定をしており、この差額一〇〇万円について理由にくいちがいがある、というのである。

しかしながら、所論指摘の被告人多田の供述は、原判決が、「原健三郎議員に金員の受領を拒まれ、注意を受けたことを被告人多田らが知つていたこと、そのために、その後における金員供与を計画通り遂行しなかつたことについて検討する」と題する部分(判示第五の三の(二))において、大タク協の理事会で正式に決定された金員供与を計画どおり遂行しなかつたのは、原健三郎議員に注意を受けたことに起因する旨認定した、その事由を説明する必要上掲記されたものであつて、大阪に返送金された金額認定の証拠として挙示されたものでないことは明らかであり、また、原判決が同部分において、残りの二〇万円口四口は大タク協に送り返すこととした旨認定しているのは、右の四口と口羽が支持後援していた議員に対する三〇万円口一口については、それらがいずれも予定されていた議員に供与されなかつたのに、理事会に取りやめの理由について適確な報告がなされた証拠もないし、理事会において取りやめが決定されたとも認められないなどその後の処置が極めて曖昧であるところから、このことが原議員に注意を受けた事実の存在を推認させる重要な間接事実にあたるものとして、なかでも右四口に重点をおいて事実認定をした結果と解せられ、大阪に返送金された金額が全部で八〇万円であつたとも、また、沢春蔵に一〇〇万円を預けたと認定したものでもないから、原判決には所論の理由のくいちがいはない、というべきである。

4  口羽玉人と同人が支持後援している議員とのなじみの程度に関する主張について

論旨は、要するに、原判決は、口羽玉人と同人が支持後援している議員とのなじみの程度について、一方において、「再三陳情に赴き且つなじみが深い筈の議員」と認定しながら、他方において、「口羽玉人が同議員と昵懇であるとまでは認めるに足る証拠はな」い、と矛盾した事実を認定している、というのである。

しかしながら、原判決の「再三陳情に赴き且つなじみが深い筈の議員」という判示部分は、原判決が、前記3と同じ項において、原議員から注意を受けた事実の存在を推測させる一つの事情として、「寿原正一および被告人関谷を訪問した際には同多田らと同様な振舞をしてきていた口羽が、藍亭において同人が支持後援している議員に対する金封を届けるよう依頼された際、これまで再三陳情に赴き且つなじみが深い筈の議員であるのに、これを固辞しておりついに金封の供与に明らかに懐疑的態度をとつていることが認められる」と判示しているのであつて、右判示中の所論指摘部分は、その文言および前後の文脈に照らすと、原判決が口羽の右態度の変容が、不合理であつて、原叱責の存在が推認できることを強調する趣旨で、金員供与のために上京した大タク協関係者の中では、口羽が相対的に最も右議員との関係が深く、同議員に金封を届けるのにふさわしい立場にあつたことを認めたにとどまり、口羽と同議員の親疎の程度を社会通念に従つて積極的に認定したものではないと解するのが相当であるから、原判決の右措辞はやや妥当を欠くとしても、その認定事実には所論の矛盾はない、というべきである。

5  その他、所論にかんがみ更に検討しても、原判決に所論の理由のくいちがいの違法があるものとは認められない。論旨は理由がない。

二  原判決に理由不備がある、との主張について

論旨は、原判決には、左記の諸点について、理由不備がある、と主張している。そこで、以下において順次、所論の要旨を摘記し、これに対する判断を示すこととする。

1  被告人関谷および寿原を除く献金予定対象者の氏名を明記していないことに関する主張について

論旨は、要するに、原判決は、原判示金員供与を含む本件献金の対象とされた一一名の国会議員のうち、被告人関谷および寿原を除く他の九名の者については、その氏名を明記することなく、これら議員を献金の対象として選んだ理由について考察判示し、本件金員供与の趣旨認定の傍証としているが、判決自体によつて特定できない人物を示して、その人物と被告人らとの関係をとらえ、これを被告人らの有罪の結論を支える重要な理由とした原判決には、理由不備の違法がある、というのである。

たしかに、原判決が、本件金員供与の謀議の過程において、献金の対象とされていた国会議員は一一名であつた旨の認定をしながら、被告人関谷および寿原正一を除く他の九名については、その氏名を判決文中に明記していないことは所論のとおりである。しかしながら、原判決は、これらの九名について、その地位、経歴、選挙区、被告人多田ら大タク協幹部やタクシー業界との関係、本件石油ガス税法案に対する態度などを判示しており、これら判示内容からすると、その氏名を明記していなくても、被告人ら事件関係者にとつて、それが誰であるか容易に判別しうるものと解されるうえ、これらの九名が、被告人関谷および寿原正一とともに、献金の対象者として選ばれた理由および金額決定の経緯を検討し、原判示金員供与の趣旨および賄賂性を肯認した原判決の判断は、上記の程度の特定によつても、これを肯認しうるから、氏名を明記していないことは、理由不備にあたらない、というべきである。

2  請託の事実に関する主張について

論旨は、要するに、収賄罪にいう請託があるといえるためには、依頼を受けた職務の内容が具体的に特定されていなければならないところ、原判決は、原判示金員供与当日における請託につき、「右同様の依頼」とのみ判示し、具体的にどの依頼を指すのかを明らかにしておらず、また、右当日以前における依頼をも請託に含めたものとすれば、その日時、場所を特定し、かつ、その内容を具体的に明らかにすべきであるのに、これを明らかにしていない点において、理由不備の違法がある、というのである。

たしかに、収賄罪において請託を受けるとは、一定の具体的な職務行為を依頼され、これを承諾することをいい、依頼を受けた職務がある程度具体性、特定性をもつものでなければならないことは、所論のとおりである。しかしながら、原判決は、被告人関谷に対し刑法一九七条一項後段の受託収賄罪の成立を認め、同被告人に関する罪となるべき事実として、「被告人関谷勝利は、衆議院議員として法律案の発議、審議、表決等をなす職務に従事していたものであるが、……かねてより前記石油ガス税法案について、廃案或いは税率の軽減、課税実施時期の延期等ハイヤータクシー業者に有利に修正されるよう同法案の審議表決に当つて自ら同旨の意思を表明し並びに同様の意思表明につき他の議員を説得勧誘するよう被告人多田清らから依頼を受けてきたものであるが、前記第一の一の日時、場所において、右同様の依頼を受け、右法案についてのこれまでの右尽力および今後の同様の尽力に対する謝礼の趣旨等のもとに供与されるものであることの情を知りながら、被告人多田清から現金一〇〇万円の供与を受け、もつて、自己の前記職務に関し請託を受けて賄賂を収受した」旨の事実を認定しているのであつて、右判示内容よりすれば、被告人関谷が受けた依頼の内容は、本件石油ガス税法案の衆議院における審議に際し、同被告人が衆議院議員として有する質疑、討論、修正案の提出及び表決等の権限を、自ら右判示のとおり業者に有利に行使すること、および、他の同僚議員に対しても同様の行為にでるように説得勧誘することであることは容易に理解しうるところであつて、右の程度に具体性、特定性があれば、収賄罪にいう請託の要件は充たされているものというべきである。また、原判決は、被告人関谷が、原判示金員供与当日に受けた依頼だけではなく、同日以前に受けた依頼をも、本件請託に含めたものと解せられるが、これらの依頼を受けた事実は、そのそれぞれが各別に犯罪を構成するのではなく、本件の場合、その全部が一個の収賄罪の刑の加重事由になるに過ぎないから、各別にその日時、場所を特定し、その内容を明らかにするまでの必要はなく、その一つを日時、場所を示して特定し、他を概括的に判示することによつても足りると解すべきであつて、原判決に所論の理由不備はないというべきである。なお、所論は、被告人多嶋、同多田についても、請託の事実につき同旨の主張をしているが、原判決は、右被告人両名には、被供与公務員そのものの職務に関する贈賄罪の成立を認めており、請託の事実は、同罪の成立要件でも刑の加重事由でもなく、必要的判示事項にあたらないのであるから、所論は理由のないことは明らかである。

3  いわゆる「原健問題」に関する主張について

論旨は、要するに、原判決は、原健三郎議員に供与すべく準備していた五〇万円入りの金封について、本件当日同議員がこれを受領したという被告人らの主張を排斥し、同議員がその受領を拒否したという事実を認定しているが、受領拒否後の右金封の処理状況、とりわけ、本件捜査が着手された直後に、同議員の秘書磯口弘栄から兵乗協(兵庫乗用自動車協会の略称)会長の大山貞雄に五〇万円が返されたという事実について判断しないまま、被告人らの右主張を排斥した原判決には、理由不備の違法がある、というのである。

しかしながら、原判決は、判示第五の三の(一)「原健三郎議員に金員の受領を拒まれ、注意を受けたことについて」と題する部分において、被告人多田の公判供述および検面調書の供述記載、口羽玉人の証言、坪井準二、沢春蔵、井上奨、吉村良吉、高士良治、大山貞雄の各証言および検面調書の供述記載、辻井初男、原健三郎、磯口弘栄の各証言などの直接証拠を対比して考察し、なお面会証の記載、ハイヤー代金の請求書および領収書などをも参酌し、詳細に当日の事実経過を検討した結果、原健三郎議員に金員の受領を拒まれ、注意を受けた事実の存在を肯認しているのであつて、所論指摘の受領拒否後の金封の処理状況などは、右事実の存否の証明にとつて間接的な事業といえるから、これら状況につき判断を示していないからといつて、直ちに理由不備とはいいえない、というべきである。

4  その他、所論にかんがみ更に検討しても、原判決に所論の理由不備の違法があるものとは認められない。論旨は理由がない。

三  訴訟手続に法令違反がある、との主張について

論旨は、要するに、原審公判で証拠として採用されて取り調べられた各検面調書における各被告人および被疑者とされた各関係者の自白は、いずれも心理的拷問もしくは誘導にもとづくものであつて、任意性に疑いのある自白であり、とくに被告人多嶋の検面調書は、弁護人との接見交通権を違法に制限して作成された点においても証拠能力を欠くのであるから、いずれも証拠から排除されるべきであるのに、被告人多田、同多嶋および沢春蔵の検面調書につき若干の検討を加えたのみで、他の関係者の検面調書につきほとんど検討の形跡を示さないまま、その証拠能力を肯定した原判決には、訴訟手続の法令違反がある、というのである。

しかしながら、原判決は、被告人多田、同多嶋および沢春蔵の各検面調書については、詳細な理由をあげて、その証拠能力を肯認しうる旨の判断を示しており、また、被告人関谷、寿原正一、坪井準二、辻井初男、井上奨、吉村良吉、高士良治、大山貞雄、飯原敏雄、谷源治郎、山岸敏明、沢厳、江間孝三郎、安永輝彦の各検面調書については、関係証拠を仔細に検討するも、いずれもその供述の任意性について疑いをいだかしむるに足る事由は存しない、としてその証拠能力を肯認しているのであつて、これら原判決の判断は、所論にかんがみ関係証拠と対比し検討しても、正当であつて誤りがあるとは思われない。そこで、所論がとくに控訴趣意中で指摘する被告人多嶋の検面調書の証拠能力につき、若干の付言をすることにする。

所論は、まず、原判決は、被告人多嶋を取調中であるなどの捜査上の必要がなかつたのに、弁護人の同被告人に対する接見を、事前に一回につき一五分間に限る旨の指定をした検察官の措置は、弁護人の接見交通権に対する違法な制限であるとしながら、弁護人において救済を求める措置を構じた形跡がなく、接見の回数と時間の指定により甘受しがたい不利益をこうむつたと断ずることができないこと、二二日間の勾留期間中、四日間にわたり一五分間ずつ計五回の接見をしていることなどの理由をあげて、検察官の右措置は、いまだ弁護人に対して接見交通権を保障した趣旨を没却するほどに重大な違法でないとして、被告人多嶋の検面調書を証拠から排除すべきではないとしたが、弁護人の接見交通権を違法に制限した以上、身柄の拘束は違法となり、かかる違法な状態下にえられた供述は、証拠としての許容性を失うべきであり、仮にこのような見解を採らず原判決の立場に立つて考察しても、上記の理由を根拠に接見交通権を保障した趣旨を没却するような重大な違法にあたらないとした原判決の判断は誤つている、というのである。

たしかに、弁護人との接見交通権は、身体を拘束された被疑者が弁護人の援助を受けることができるための刑事手続上最も重要な基本的権利に属するものであつて、これを尊重すべきことはもちろんであるが、身体を拘束されている被疑者と弁護人との接見交通権に対する違法な制限といつても種々の態様のものがあるうえに、接見交通権の制限について不服があるときは刑事訴訟法第四三〇条によつて救済を求めることができるのであるから、接見交通権が違法に制限されたとの一事をもつて、直ちに罪証の隠滅、逃亡の防止の目的をもつてなされている被疑者の身体の拘束が違法となり、それゆえ、その間に作成された供述調書はその証拠能力を失うという所論には、にわかに賛同しがたいところである。被告人多嶋は、本件について、昭和四二年一一月二四日に逮捕され、同年一二月一五日に釈放されるまでの二二日間に、弁護人と四日間にわたり一五分間ずつ計五回の接見をしているに過ぎないが、身柄を拘束された翌日の一一月二五日に、三人の弁護人と合計三〇分間接見し、更にその三日後の同月二八日に、一人の弁護人と一五分間接見しているのであつて、弁護人の援助を受ける必要性の比較的強い、身柄拘束の初期の段階で、かなりの時間弁護人と接見し、その援助を受けているといえるから、その後も二回にわたり、一五分間ずつ計三〇分間の接見をしていること、弁護人においてあえてそれ以上の接見の機会をうるための方策を構じた証跡のないことなどをも併せ考えると、検察官のした上記接見交通の制限により、被告人多嶋の弁護人との接見交通権が著しく侵害され、同被告人の防禦に重大な支障が生じたとはいえず、また、関係証拠を検討しても、そのことが同被告人の検察官に対する供述の任意性に影響を及ぼしているものとも認めがたいから、検察官のした接見交通の制限は、いまだ被告人多嶋の検面調書の証拠能力を否定する事由とはなりえないと解すべきである。

所論は、次に、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月二九日付上申書、とりわけ、同被告人が原審公判廷で供述するその作成経緯を見るだけで、同被告人が取調検察官からいかに真意と異なる供述を強制されたかは多言を要しないところであつて、これによれば、同被告人が本件金員供与の趣旨につき一貫して政治献金であることを主張していたことが理解でき、右上申書末尾のこれを撤回する旨の記載、右上申書作成前後に作成された検面調書中の賄賂性を認める趣旨の記載は、同被告人の任意によるものではなく、取調検察官の強制にもとづくものであることは明らかである、というのである。

たしかに、被告人多嶋は、原審公判廷において、前記上申書は、検察官の取調に際し、本件は政治献金である趣旨を口頭をもつて説明しても、検察官がこれを聞き入れてくれず、賄賂であることを強調して議論となり、口でいい合いをしたのでは負けてしまうと考え、書面をもつてその趣旨を検察官に訴えるために作成したものであること、右書面を検察官に提出したところ、検察官は非常に激怒し、「お前はまだこんなことをいうているのか」、「さんざん話し合いができて納得してるはずではないか」、「お前を紳士として扱つてきたが、今後は扱いを変えないかん」と大声を出され、しばらく座をはずしてのち、結局、これを引つ込めろといわれ、数刻やりとりをしたが、やむなく不承不承右上申書を撤回する趣旨の文章を記載して署名したことなど所論に沿う供述をしている。しかし、他面、同被告人の取調検察官であつた土肥孝治は、原審公判廷において、前記上申書の提出を受けた際、同被告人にどういう心境で書いたのかと尋ねたところ、被告人関谷および寿原らに迷惑をかけることがやつぱり心配である、と答えたこと、そこで、今まで何度も、そういうことをいいながらも、賄賂であることは本当なのでしかたがないのだといつて認めていたではないか、と反問をしたところ、その気持に変わりはない旨答えたこと、それで、その心境のことは前に調書にとつてあるし、上申書は撤回したらどうかといつたところ、「わかつています、撤回します」といつたので、上申書の末尾にその趣旨を記載してもらい署名をしてもらつたこと、以上の証言をしている。おもうに、身柄を拘束されて取調を受けている被疑者が、取調官に対し、従前の供述と異なる内容を記載した上申書を提出するなどということは、異例に属することと思われ、右上申書を作成し提出した際の同被告人の心境は、すくなくとも、賄賂であることを認めた従前の供述を覆し、これを政治献金の趣旨に改めたいという強い願望を含むものであることは否定できないと思われる。しかしながら、同被告人は、身柄拘束前の任意取調の段階において、すでに原判示金員が賄賂であることを認める趣旨の供述をしていること、同被告人が原審公判廷で供述するように、上申書の用紙や筆記用具の入手に並々ならぬ苦労を重ね、悲痛の思いでそれを書き、撤回をして帰房してのち、無念の思いに耐えかね、ひとりで慟哭したという程に、強い決意をもつて上申書を作成したというのであれば、いますこしく上申の趣旨の維持に努めたであろうと思われるのに、同被告人の供述するところによつても、数刻の問答ののちにこれを撤回しており、また、その後の捜査段階においては、ついに同一の主張をくり返すことがなかつたことなどの事実に徴すると、被告人多嶋の上申書に関する供述はたやすく措信しがたいところであつて、同被告人が上申書を作成するに至つた経緯、心境は、前記原審土肥証言によつて窺われるように、自己の供述が被告人関谷および寿原ら国会議員に迷惑を及ぼすことを懸念し、同人らに累を及ぼさないようにしたいというところにあつて、撤回文言の記載を含めて右上申書の存在する事実は、検察官に対し原判示金員授受の趣旨に関する同被告人の真意を供述する自由が妨げられていたことを窺わせるものではなく、また、検察官による供述の強要がなされた事実を推認させるものでもない、というべきである。

その他、所論にかんがみ記録を検討しても、原判決には所論の訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

四  事実誤認の主張について

論旨は、要するに、本件においては、原判示のような請託・受請託の事実はなく、また、原判示の金員は、当時国会議員であつた被告人関谷および寿原正一に対する政治献金として授受されたものであつて、賄賂ではないのに、請託・受請託の事実を認め、原判示金員の賄賂性を肯認した原判決は事実を誤認している、というのである。

そこで、案ずるに、原判決挙示の証拠によれば、被告人多田、同多嶋に対する原判示第一の一および二の贈賄の事実、被告人関谷に対する原判示第二の収賄の事実は、いずれも、優に肯認しうるところであつて、所論にかんがみ記録を調査し、かつ、当審における事実取調の結果を参酌して検討しても、原判決に所論の事実誤認があるものとは認められない。

ところで、所論は、極めて多岐にわたつて原判決の事実認定を論難している。そこで、以下においては、所論を適宜整理したうえ、順次、所論の要旨を摘記し、これに対する判断を示すことにする。

1  検面調書の信用性、採証の方法に関する主張について

論旨は、まず、原判決が、事実認定の基礎とした検面調書における供述記載の採証の態度等について、次のように論難している。すなわち、原判決は、特別の理由がないのに、被告人多田、同多嶋らの検面調書における一連の行為としての供述中、その一部のみを信用し他の信用性を否定するなど、採証の態度が恣意的であり、また、いわゆる原健問題に関して恣意的な推認をするなど、結論に合わせた一定の予断のもとに証拠を取捨選択しており、このような採証の態度が事実誤認をもたらしている、というのである。

しかしながら、原判決の事実認定の当否については、後に詳述するとおりであつて、その一部に首肯しがたい点もあるが、すくなくとも、原判示贈収賄罪を構成する事実の認定は、すべて正当として肯認することができ、原判決の採証の態度が所論のように恣意的であるとは思われない。すなわち、原判決は、事実の認定にあたり、被告人多田、同多嶋ら本件関係者らの原審における供述、検面調書における供述のほか、大タク協理事会の議事録、メモ、帳簿、全乗連作成の陳情書その他の文書、ならびに多嶋日記など、関係する証拠を仔細に対比し検討し、これらを総合して真実の発見に努めていることが窺われるのであつて、その結果、被告人多田、同多嶋ら関係者の検面調書における供述中、その一部のみを措信し他の部分を措信しえないとして排斥した点のあることは所論指摘のとおりであるが、これらは上記の総合判断の結果によるものであつて、所論のように恣意的に行われたものではなく、原判決の採証の態度は、所論のように結論に合わせた一定の予断のもとに証拠を取捨選択したものとは到底いいがたいところである。また、いわゆる原健問題につき、原判決が、原判示金員供与の当日被告人多田において自ら原健三郎議員の事務室を訪れて同議員と面談したことはなく、同議員と面談したのは大山貞雄と吉村良吉の両名であるとの事実を認め、この事実を前提として、被告人多田は、衆議院第一議員会館内の廊下で大山らと出会つた際、同人らから、同人らが同議員から叱責、注意を受けて金封の受領を拒否されたことを告げられたと推認していることに関し、所論はその推認の恣意性を論難するが、後記のとおり、原判決には事実認定上の誤りがあり、被告人多田は、自ら大山らとともに同議員と面談し、同議員から金封の受領を拒否されたものと認められるから、所論は、前提を欠くことになるものといわなければならない。その他、所論にかんがみ更に検討しても、原判決の採証の態度を全体として論難する所論は、とりえないというべきである。

2  本件金員授受時およびその後の状況に関する事実認定について

(一) いわゆる「安永問題」について

論旨は、要するに、原判決は、昭和四〇年八月一〇日、被告人多田、沢春蔵、坪井準二、口羽玉人、井上奨らにおいて、第一議員会館に被告人関谷を訪問し、一〇〇万円入りの金封を同被告人に手渡し、同被告人は自らこれを受け取つたが、二日後の同月一二日ころ、安永輝彦が右一〇〇万円入りの金封を携えて大タク協に赴き、被告人多嶋に対し、「時期が悪いから頂戴したいとき、またこちらから申し入れます」などといつて同被告人に右金封を手渡したことを認定し、安永問題にいう安永来阪説を肯定しているが、右一〇〇万円入りの金封は、同月一〇日、いつたん被告人関谷の面前に差し出されてのち、被告人多田が、被告人関谷から大阪にある同被告人の後援会に入金することの了解をえてこれを持ち帰り、他の献金未了の金員とともに大阪に返送金されているのであつて、被告人関谷が自ら右金封を受け取つたことも、安永が右金封を持つて来阪したこともないから、原判決は、この点において、事実認定上の誤りをおかしている、というのである。

そこで、案ずるに、被告人多田が、被告人関谷に供与すべき原判示の一〇〇万円入りの金封を、同被告人の面前に差し出しただけで、同被告人に手渡さず、同被告人の後援会である松山会関西支部に入金すべく再び持ち出し、同支部への入金を指示して井上奨にこれを手渡し、同人において他の供与を取りやめた二〇万円口四口とともに大タク協に返送金したこと、徳安実蔵に供与すべく準備されていた一〇〇万円入りの金封は、藍亭に引き揚げて事後の処置を協議した際、沢春蔵に手渡されており、大阪に返送金した一八〇万円中の一〇〇万円は、徳安分ではなく、井上奨が被告人多田から受け取つた本件の一〇〇万円であること、昭和四〇年八月一三日に住友銀行上町支店に通知預金された一〇〇万円は、そのころ、沢春蔵の依頼を受けた沢巌が、大タク協に持参した前記の徳安分であつて、被告人関谷に差し出された一〇〇万円ではなく、安永輝彦が本件一〇〇万円を持つて大タク協を訪れたことはないことなど、所論の主張する事実については、被告人多田、同関谷、同多嶋、井上奨、高士良治、辻井初男、沢春蔵、沢巌、安永輝彦らが、原審において、それぞれが関係した部分につき、所論に沿う供述ないし証言をしている。しかしながら、被告人関谷および沢巌を除く上記の者らは、原判決が判示第五の二、(四)の1の(ロ)、(ハ)において、挙示引用しているとおり、検察官に対しては、右と異なる供述をしているのであつて、被告人多田、井上奨、高士良治、辻井初男、沢春蔵らは、被告人関谷が原判示金封を自ら受け取つたと述べ、沢春蔵は、徳安分の金封を預つたことを否定し、井上奨および辻井初男は、大阪に返送金した一八〇万円中の一〇〇万円は徳安分であると述べ、被告人多嶋および安永輝彦は、原判示犯行日の二日くらいのちに、安永が原判示金封を大タク協に持参した事実を肯定し、更に、被告人多嶋および辻井初男は、右一〇〇万円は住友銀行上町支店に通知預金した旨述べるなど、原判示に沿う供述をしており、また、沢巌は、検察官に対しては、沢春蔵に頼まれて、徳安分の一〇〇万円を大タク協に届けたという所論の事実は述べていないのである。

このように、所論の主張する事実は、前記関係人の検面調書中にはあらわれておらず、公判段階に至つてはじめて供述されたものであるところ、被告人関谷に関する原判示の一〇〇万円は、被告人多田をはじめとする大タク協理事および幹部職員が、わざわざ上京して、被告人関谷の事務所を訪れ、これを直接供与しようとしたものであるから、右金封を持ち帰るということは、それ自体が異例とみうるものであつて、仮にそのような事実があつたとすれば、その特異性などから、関係人のうちの誰かの記憶に残つているのが通常と思われ、ことに、このことは、本件贈収賄罪の成否を左右するに足る重要な事項でもあり、すくなくとも、前記一〇〇万円の通知預金の性格、とりわけ、安永輝彦が一〇〇万円の金封を大タク協に持参したか否かに関連して、記憶を喚起する機会は十分にあつたと思われるのに、捜査段階においては記憶がよみがえらず、公判段階に至つて記憶が喚起できたということは、はなはだ不自然であり、所論に沿う公判供述ないし証言の信用性は低いと評価せざるをえない。また、被告人多田、井上奨、高士良治らが原審で述べるように、被告人関谷に供与すべき原判示の金封が、松山会関西支部への入金を指示されて井上奨に手渡されていたものとすれば、同人の地位、職責ならびに右金員の性質などにかんがみ、帰阪後に、その趣旨にそつて松山会関西支部への入金手続等がとられていなければならないはずであるのに、このような手続がとられた形跡は全くなく、所論に沿う右供述は、この点において、当然伴うべき客観的な裏付けを欠く、疑わしいものといわざるをえない。

他面において、被告人関谷が原判示金員を自ら受け取つたとの事実は、被告人多田、井上奨、高士良治、辻井初男、沢春蔵の前記各検面調書において述べられているほか、坪井準二の検面調書にもその旨の記載があり、また、口羽玉人、坪井準二の各原審証言によつてもこれを窺うことができるのであつて、右原審証言、とりわけ、被告人関谷には、原判示金封の受領につき、これをためらい、或いは拒むなどの風はなく、受け取つてもらえたと思う旨の供述部分は、被告人関谷の面前での、同被告人にとつて不利益な事実を内容とする供述であるとの点において、信を措くに足るものというべきであつて、これに符合する前記検面調書における供述は、信用しうるものといわざるをえない。また、安永輝彦が原判示金封をもつて大タク協を訪れたとの事実は、被告人多嶋が自らすすんで検察官に供述した事柄であり、安永じしんも検面調書においてこれを認めているほか、沢春蔵、井上奨、辻井初男の各検面調書には、安永が来阪したころに、その旨を聞いた記憶がある旨の記載もあるうえ、被告人多嶋および辻井初男の検面調書における供述中、安永が持参した一〇〇万円は、同人が来阪した直後の昭和四〇年八月一三日、住友銀行上町支店に通知預金したとの部分は、大タク協名義の右通知預金の存在および右預金が昭和四一年一月一八日に解約され、神戸銀行銀座支店にある松山会名義の普通預金口座へ振り込み送金されている事実によつて裏付けられているというべきである。更に、安永輝彦が、原判示の金員を大タク協に持参するに至つたその経緯については、後記の原健問題に関する経緯によつてたやすく理解できるところであつて、そこにはなんらの不合理、不自然はない。

右にみたように、被告人関谷が原判示の金封を自ら受け取つたとの事実は、証拠上優に肯認しうるところであつて、右金封を松山会関西支部に入金すべく持ち帰つたとの所論の事実は、なかつたものというべきである。

所論は、まず、被告人多田の前記検面調書における供述は、他の場合との混同の疑いがあり、任意捜査段階での原始供述であることだけの理由で信用するのは相当でなく、また、同被告人の原審供述、沢春蔵、井上奨、辻井初男の各原審証言は、本件起訴後において、関係帳簿、書類等を調査、照合をした結果、よみがえらせた記憶を述べるものであつて、右原審供述ないし証言をこそ信用すべきである、と主張している。

たしかに、被告人多田については、同被告人が多忙のうちに各般の事務を処理していたうえに、類似の献金事案が他にも存在していたことなどにかんがみると、他の場合と混同する可能性もなくはなく、任意取調中の初期の供述であることだけで、供述の信用性を肯定するのは相当でない、と思われる。しかしながら、その余の者、とりわけ、大タク協専務理事であつた井上奨、同総務課長で会計担当者であり、松山会関西支部の会計をも担当していた辻井初男については、被告人多田のような記憶の混同の可能性はなく、その地位および職責、本件金員供与の趣旨および供与するに至つた経緯などにかんがみると、比較的に記憶を正確に保持し、これを喚起しえたものと認めるべきである。ことに、供与金員を持ち帰り、大阪に返送金したという事実は、前記のとおり、それ自体が特異性をもつているうえ、単純であつて、ことさらに帳簿、書類等に頼るまでもなく、容易に記憶を喚起しうる事項と思われるのに、比較的長期に及んだ捜査段階でその記憶がよみがえらなかつたということは、不自然と評さざるをえない。しかも、所論が記憶の喚起、供述の変遷の根拠として主張する帳簿、書類等の記載は、後記のとおり、供与した金封の持ち帰りを肯定し、安永来阪の事実を否定するに足るものではなく、これらの資料によつて所論指摘の公判供述ないし証言に沿う記憶が喚起されたというのも又不自然であつて、右公判供述ないし証言はとうてい措信しがたいものというべきである。

所論は、次に、被告人関谷に関する原判示の金員について、被告人多田の指示どおりに、松山会関西支部への入金の手続がとられなかつたのは、井上奨から辻井初男に対する指示が徹底しなかつたためであつて、右指示の存在する事実は、いわゆる市田手帳の記載、東京松山会の受入記帳によつても明らかである、と主張している。

たしかに、井上奨および辻井初男は、原審において、所論に沿う供述をしており、所論のような指示の不徹底、事務処理上の過誤は全くありえないわけではないと思われる。しかしながら、前記のとおり、同人らの地位、職責、本件金員供与の趣旨および供与するに至つた経緯などにかんがみると、入金の指示があつたとすれば、特段の支障の生じない限り必ずそれが履行されているはずであると考えるのが相当である。所論および右両名の原審証言によれば、右金員は、沢春蔵が預つた徳安分の一〇〇万円とは異なつて、被告人関谷にいつたん差し出されたのち、同被告人の了解をえて後援会に入金すべく持ち帰つているというのであるから、なおさらその趣旨にしたがつた入金手続が履行されていなければならないのが道理であるのに、徳安分の一〇〇万円は、八月一三日に通知預金にしながら、それと関連する本件関谷分については、特段の支障も生じていないのに、そのころ改めて指示の徹底、処理状況の確認などなされないまま、入金もされずにそのまま放置されていたというその証言内容は、それじたいをとつてみても、はなはだ不自然といわざるをえない。また、所論のいわゆる市田手帳の記載については、たしかに、その記載どおりの事実があつたとすれば、後援会への入金の指示を裏付ける有力な証拠ということができるが、市田手帳は、本件捜査の段階において、その作成者である市田実二郎方を捜索した際には発見されておらず、原審公判の途中において弁護人から提出されたものであつて、市田実二郎は、右手帳の存在、内容等について、検面調書においてはもとより、原審第五七回ないし六一回、七〇回ないし七三回公判において証言をした際にも、なんらの供述をしておらず、原審第一二五回公判に至つてようやく供述をしたものであり、これら市田手帳が原審公判に顕出されるに至つた時期および経過に徴すると、市田手帳の信用性は低いとみざるをえず、所論の入金指示の事実を裏付けるに足るものではないというべきである。更に、所論の東京松山会における一〇〇万円の受入記帳については、たしかに、当初は、松山会関西支部から受け入れた旨の記載になつており、後日、これを、大タク協からの寄付金である旨訂正していることは所論のとおりであるが、大タク協事務職員の手を経て大阪から松山会東京本部に送金される金が、平素は同会関西支部からの会費等であつたことに徴すると、当初の記載は、事情を知らない東京松山会の事務職員が通常の事務手続に従い、松山会関西支部から送金されたものと誤解したものとみるのが相当であり、これをもつて直ちに、被告人関谷に差し出した本件金員を同被告人の了解を得て松山会関西支部に入金すべく持ち帰つたとの所論主張の事実の証跡とはなしがたいというべきである。

所論は、また、口羽玉人、坪井準二の前記原審各証言は、被告人関谷に対する本件金封授受の状況のみを述べたものであつて、右金封の事後の措置は同人らの知らないところであるから、同証言をもつて、被告人関谷の金封受領の事実を認めるのは相当でない、というのである。

たしかに、口羽、坪井の原審証言内容は、本件金封が、被告人関谷の手許に納つたことまでを明確に証言するものではないが、右両名は、被告人多田に同行して、原判示の被告人関谷の事務室を訪れ、本件金封の授受に立ち会い、被告人多田とともに同事務室を退去しているのであつて、被告人関谷が、被告人多田の差し出した本件金封につき、その受領をためらい、或いは拒むなどする様子はなかつたという証言内容は、その自然の成行として、本件金封が被告人関谷の手許に納つたことを認めさせるに十分のものというべきである。

所論は、更に、原判決は、判示第五の三の(二)の3の藍亭における事後処理に関する判示部分において、徳安議員に対する金封の行方を認定していないが、右金封は、藍亭で沢春蔵が預つているのであつて、このことは、同人がその翌日に再度徳安議員方を訪問していることよりしても明らかである、と主張している。

たしかに、原判決は、所論指摘の部分においては、徳安実蔵議員に供与すべく準備した金封のその後の処理状況を認定していないが、準備した金封の事後処置、大阪に返送金した金額およびその内訳に関する辻井初男の検面調書の記載を措信しうるものとし、いわゆる安永来阪の事実を肯定していることからすると、徳安分は、沢春蔵に預けられたのではなく、当日大阪に返送金された一八〇万円の中に含まれていると認定したものであることは明らかである。徳安分の一〇〇万円について、沢春蔵は、検面調書においてはこれを預つた事実を明確に否定しながら、原審公判廷においてはこれを預つた旨相反する供述をしており、同人が原判示犯行の翌日に再度徳安議員方を訪問していることは証拠上これを肯認しうるところであるが、被告人多田らが、寿原正一および被告人関谷方を訪れて本件金員を各供与してのち、原健三郎議員方を訪れた際に、後記のように、金員の供与について注意、叱責されたいわゆる原健問題が発生したため、残余の金員供与の計画を中止して藍亭に引き揚げ、結局、三〇万円の金封二個は、時期をみて届けるということで、坪井準二、吉村良吉に預けられ、二〇万円の金封四個は、その供与を取りやめることにされたという事実経過にかんがみると、その翌日に、沢春蔵が徳安議員方を訪問しているという所論の事実は、必すしも沢春蔵が徳安分を預つた事実を裏付けるものではなく、むしろ上記の事実経過は、徳安分は、選挙時まで待とうということで、やむをえず大タク協に送り返した旨の同人の検面調書における供述を裏付けるものというべきである。

所論は、また、前記の住友銀行上町支店の通知預金は、昭和四一年一月一八日に解約され、松山会東京本部に送金されているが、送金にあたり昭和四〇年八月一三日預け入れの通知預金を解約したのは、銀行側が慣例にしたがつて、預入時期の一番古い分を解約しただけであつて、送金先が松山会であり、解約した通知預金の預け入れ日が昭和四〇年八月一三日であることから、右通知預金にかかる一〇〇万円を、安永輝彦の持参した原判示の被告人関谷に供与した金員と認めるのは誤つている、というのである。

たしかに、関係証拠によると、通知預金の解約は、払戻請求金額に見合う口数を銀行側において検討してするのが通例と認められるところ、本件通知預金が解約された昭和四一年一月一八日現在において、大タク協名義の金額一〇〇万円の通知預金は、前記昭和四〇年八月一三日預金の分と同年九月六日預金の分との二口があつたと認められ、大タク協側においてとくに前者の解約を指示したことを認めるに足る証拠はないから、解約された通知預金の送金先が松山会であるからといつて、直ちにその通知預金が被告人関谷に関連した金であると認めることはできないと思われる。しかしながら、被告人多嶋から、安永輝彦のした返還依頼の伝達を受け、松山会東京本部への送金を指示された辻井初男が、当座預金からではなく、わざわざ利息のつく通知預金を解約して送金している事実は、大タク協が、原判示の関谷分一〇〇万円を、通知預金にして保管していたことを認めさせる一つの事情となりうるものと解すべきであつて、右事実は、その旨の被告人多嶋および辻井初男の前記検面調書における供述を裏付けるに足るものというべきである。

所論は、更に、原判決は、安永輝彦が来阪した日を昭和四〇年八月一二日ころと認定しているが、安永は、同日、三菱銀行代々木上原支店より五〇万円を引き出し、第一議員会館地下食堂において、二十日会の会計責任者である飯尾三郎に面接してこれを渡している事実があり、そのころ在京していて来阪していない可能性が強いうえ、いわゆる多嶋日記中には、昭和四〇年八月一二日ころに、安永輝彦が来阪した旨の記載はなく、また、松山会収支報告書中にも、そのころ、安永に来阪のための旅費を支給した旨の記載がないほか、安永が、釈放直後に関田弁護人に対し、検察官の取調の際、記憶に反し来阪したと供述した旨を告白し、予想される公判における証言についての悩みを打ち明けていることなどの事実は、安永の来阪を疑わせるに足るものである、と主張している。

たしかに、原審ならびに当審で取り調べた関係証拠によると、昭和四〇年八月四日、相互タクシー株式会社から被告人関谷の後援会である二十日会に対し、額面五〇万円の小切手で献金がなされ、右小切手を受け取つた安永が、これを現金化するため、三菱銀行代々木上原支店の同人名義の預金口座に入金をしたこと、同月一二日に右預金口座から右小切手と同額の五〇万円が引き出されていること、二十日会の会計担当者であつた飯尾三郎は、同月一二日に松山に出張し、同日、二十日会松山支部の木村正信に対し、現金五〇万五、〇〇〇円を交付していること、安永は、被告人関谷の私設秘書で、二十日会の顧問をしていたものであるが、安永が受領した二十日会に対する献金は、同人から飯尾に交付されるならわしになつており、安永は原審において、飯尾は当審において、相互タクシーからの右五〇万円の献金については、安永が飯尾に現金で交付した記憶を有する旨証言をしていること、以上の事実が認められ、これらの事実によると、飯尾三郎が同月一二日に安永から現金五〇万円を受け取り、これを持つて松山に赴き、前記の木村正信に右五〇万円を交付したという推論も成り立ちえないわけではないと思われる。しかしながら、安永の原審証言によると、前記預金の引き出しに際し作成された普通預金払戻請求書の筆跡は、安永じしんのものではなく、同人の妻のものであると認められるので、安永が同月一二日に五〇万円の預金を引き出し、これを飯尾に交付したという前記推論には疑わしい点があるといわざるをえない。のみならず、前記推論によつても、安永が在京していたのは、一二日の午前中に限られ、午後には来阪することが可能であるところ、原判決が安永来阪の日として認定しているのは、一二日のみではなく、挙示の証拠とも対比すると、一三日(全一日ではなく、午前中)をも含むものと解せられるから、前記推論どおりであつたとしても、安永来阪の事実を否定し去ることのできるものではない。安永は、検察官の取調に対し、同月一二日には飯尾と会つていて、大阪に来れないのではないか、と反問されながらも、飯尾の記憶誤りを主張して、なお来阪の事実を肯定しているのであつて、所論指摘の点は、安永来阪の事実を覆すに足るものとはいいえない。次に、いわゆる多嶋日記は、被告人多嶋が、日々の出来事を、比較的に克明かつ正確に記載したと認めうるものであるが、同日記中の昭和四〇年八月一二日ころの欄に、安永輝彦が来阪した旨の記載がないこと、また、松山会収支報告書中のそのころの欄にも、安永に対し大阪への出張旅費を支給した旨の記載がないことは所論のとおりである。しかしながら、まず、多嶋日記については、これを仔細に検討すると、例えば、実際には、昭和四〇年八月五日の同好会、同月九日の第五三回理事会において、本件金員の供与について具体的な相談が行われているのに、その事実を記載していないなど、記載にあたつてはある種の配慮をしていることが窺われるのであつて、安永輝彦の来阪の目的が、被告人関谷に供与した本件金員の寄託にあつたことにかんがみると、安永が来阪した旨の記載がないからといつて、直ちに同人の来阪の事実を否定するのは相当でないと考える。次に、来阪のための出張旅費については、同人の原審証言によれば、その都度必ず支給されていたものではないと認められるので、旅費支給の記載のないこともまた、同人の来阪の事実を否定するに足るものではない、というべきである。更に、同人が関田政雄弁護人に所論の告白をしたとの点については、たしかに、同弁護人は、当審において、所論に沿う証言をしているが、安永輝彦じしんは原審において「検察官に対して嘘は通つても、裁判所では、宣誓をしたうえで証言をすることになるので、嘘は通らないと、そればかりが気になつていた」旨供述しながらも、弁護士にそのことを相談した記憶はないと証言しているのであつて、これによれば、所論のいう安永の告白は、同人じしんにとつて、関田弁護人が理解した程には深刻なものではなく、むしろ、安永の検察官に対する供述内容が、同人じしん原判示の金員を被告人多田から受け取つたとなつている点において、他の関係者の供述と食い違つていたことにかんがみると、この点の証言内容を懸念していたと解しうるのであつて、所論の安永告白の事実は、安永来阪の事実を否定するに足る証跡とはいいがたい、というべきである。

その他、所論にかんがみ更に検討しても、安永来阪の事実を肯定した原判決には、事実認定上の誤りはない、というべきである。

(二) いわゆる「原健問題」について

論旨は、要するに、原判決、原判示金員供与当日の午後一時ころ、有明館において、被告人多田から大山貞雄に対し、原健三郎議員に届けるよう依頼して現金五〇万円入りの金封が預けられたこと、大山は、これを持つて直ちに単身第一議員会館内の原議員の事務室を訪れ、ほどなく被告人多田の指示で原議員に挨拶すべく同所を訪れた吉村良吉とともに、原議員と面談したこと、その際、大山が原議員に対し金封を手交しようとしたところ、原議員からこんな金は受け取れん、もつて来られたら迷惑するなどといわれて突き返され、やむなく、右金封をもつて吉村とともに同室を出たこと、一方、被告人関谷の事務室を出た被告人多田らは、同議員会館内の廊下で大山、吉村と出会い、原議員から注意されて金封の受領を拒否されたことを聞いたこと、このことが、本件金員供与計画の一部を取りやめた大きな原因の一つになつていること、以上の事実を認定し、これを被告人らの賄賂の認識を裏付ける重要な事実としたが、原議員は、当日、大山の差し出した金封を受け取つており、これを拒否したなどの事実はなく、したがつて、被告人多田が大山らから、原議員に金封の受領を拒否されて突き返されたうえ注意をうけたと聞いたこともないから、原判決は、この点において、事実認定上の誤りをおかしている、というのである。

たしかに、被告人多田は、原審公判廷において、原議員に対する五〇万円の金封は、有明館で、大山貞雄に届けてくれるように依頼して預け、自身は原議員の事務室を訪れておらず、同行の吉村良吉をして挨拶に伺わせたが、寿原正一に対する原判示金員の供与を終えて第一議員会館に着いたとき、吉村良吉から、原議員に対する献金は、大山貞雄が無事にすませたとの報告を聞いており、原議員に叱責されたり、注意を受けたことはなく、当日の金員供与計画の一部を中止したのは、供与を予定していた国会議員が不在であつたためであつて、原議員の言動が原因となつているのではない旨の供述をし、吉村良吉は、原審公判廷において、寿原正一を訪ねるためグランドホテルに着いたとき、被告人多田に指示されて、原議員に挨拶するため、大山貞雄のあとを追つて第一議員会館に赴き、原議員の事務室を訪れたが、同所で原議員は、大山貞雄と歓談しており、領収書を書いて同人に渡すのを目撃し、その後、同人と第一議員会館の玄関で別れる際、献金を終えた旨の被告人へ多田の伝言を依頼された旨の証言をしており、また、坪井準二、沢春蔵、辻井初男、井上奨、高士良治は、いずれも、原審において、同人らおよび被告人多田が、当日原議員の事務室を訪れた事実はなく、原議員から叱責されたり注意を受けたことを聞いていない旨の証言をし、口羽玉人も原審において、原議員の事務室を訪れた記憶はない旨の証言をしている。

これに対し、原健三郎は、原審において、原判示金員供与当日の午後、兵乗協会長の大山貞雄が、一ないし二名の同伴者とともに、第一議員会館の原議員の事務室を訪れたので、同人らと面談したこと、その際に大山は、「タクシー協会(或いはタクシー業会)がいろいろお世話になつておりますので、些少でございますが」といつて金封を差し出したこと、その金封は、厚みからして一〇万円や二〇万円ではなく、五〇万円か一〇〇万円といえる高額のように思われ、タクシー業界に対して格別世話をした心当りもなく、大山が日頃お世話になつているというだけで、後援会に献金するともいわず、会費として納めるということもいわないので、その金の趣旨について要領がつかめなかつたため、将来問題になると困ると考え、「こんな金いかがわしいから受け取れん」、「もつて帰つてくれ」という趣旨のことをいい、「折角もつてきたのだから受け取つてほしい」という大山に対し、「こんなものをもつてこられたら迷惑する」、「もつて帰つてくれ」と突き返し、秘書の磯口を呼んで、「大山さんが金をもつてきたが返すからよく見ておれ、問題になつたときに証人になれ」と指示したこと、そのため、大山は差し出した金封をもつて、同伴者とともに同議員室を出ていつたこと、以上の証言をしており、原議員の秘書磯口弘栄も、原審において、右原証言にほぼ沿う証言をしているばかりか、検察官の取調に対し、被告人多田、大山貞雄、坪井準二は、原議員の事務室を訪れて同議員と面接したこと、その際、大山が金封を差し出したところ、同議員からたしなめられ、その受け取りを拒否されたので、金封を差し上げずに退室したことなどを供述し、また、沢春蔵、高士良治、井上奨は、第一議員会館の廊下において、原議員方の訪問を終えた被告人多田らから、右の出来事を聞いたことがある旨の供述をしているのである。

このように、原議員が五〇万円入りの金封を受領したか否かについては、関係者の供述が区々に分かれており、ことに、被告人多田らの原審における供述は、検察官に対する供述とその内容を全く異にするものであるが、後記のとおり、原健三郎の原審証言には、格別の不合理、不自然な点はなく、また、被告人多田、大山貞雄、坪井準二、沢春蔵、高士良治、井上奨の各検察官に対する供述は、原議員に供与金員の受領を拒否されたという、極めて特異な事実を一致して述べるものであり、仮に原議員が差し出された金員を受領したのであれば、捜査段階において、同議員の金員受領の事実を秘匿して、同議員をかばいだてする格別の理由も必要もなかつたことや、本件当日における被告人多田らの行動、とりわけ、一一名の国会議員に対し金員を供与すべく、大挙してわざわざ上京しながら、原議員の事務室を一部の者が訪れてのち、過半の議員に対する金員の供与を残したまま、藍亭に引き揚げる措置をとつていることなど証拠上肯認しうる事実に照らすと、右検察官に対する供述中、原議員から注意をうけて金員の受領を拒まれたという基本的な部分は、十分に信用しうるものと考える。

ところで、原判決は、原健三郎、磯口弘栄の前記各原審証言を措信しうるものとし、所論のいわゆる原健問題における原叱責の事実の存在を肯認したが、被告人多田の検面調書における供述中、同被告人らが原議員の事務室で同議員と面談した際の状況に関する部分は、いわゆる多嶋日記中の昭和四一年四月二二日欄の記載、被告人多田、同多嶋の各原審供述、原健三郎、口羽玉人の各原審証言などに照らすと、昭和四一年四月二二日に原議員の事務室において同議員と面談しやりとりをした際のもようを、原判示金員供与当日のことと取り違え錯覚して供述した疑いがあるうえ、坪井準二の検面調書における供述にも同様の疑いがあることなどを理由として、本件当日、被告人多田が自ら原議員の事務室を訪れて同議員と面談したとの供述部分の信用性を否定し、面会証の記載その他の関係証拠をも総合して、当日、原議員の事務室を訪れて同議員と面談をしたのは、大山貞雄と吉村良吉の両名であり、右両名と被告人多田らとは、被告人多田らが被告人関谷の事務室を出たあとで第一議員会館内の廊下で出会つていることが認められるので、大山らが原議員から叱責、注意をうけて金封の受領を拒否されたことは、その際に大山らから被告人多田らに告げられたと推認している。たしかに、被告人多田の検面調書における供述中、同被告人らが、原議員の事務室で同議員と面談した際の状況に関する部分は、原健三郎の原審証言内容と食い違つている反面、前記多嶋日記の記載内容と酷似しているので、同供述部分は、被告人多田らが、昭和四一年四月二二日に原議員と面談した際の状況と混同して述べられている疑いはある。しかしながら、原議員が本件金員供与計画の対象者に選ばれたのについては、同議員が兵乗協の顧問的立場にあり、大タク協を中心とする関西のタクシー業者団体が共同して自民党に対し一億円の献金をした際、兵乗協に二、〇〇〇万円の負担をしてもらつていたため、この兵乗協の協力に対する感謝の気持から、同協会長である大山貞雄の顔をたてるという配慮があつてのことであるとはいえ、原議員を含む一一名の国会議員に対する本件金員供与の計画は、大タク協がその理事会に諮つて決定し、その資金は大タク協加盟会社において負担をしているのであるから、被告人多田ら大タク協の理事がわざわざ上京し、金員を供与しようとした以上、原議員に対しても、同被告人らが直接出向いて金員を供与しようとしたと考えるのが合理的であり、同議員に対する金員の供与を、大山貞雄に一任したとみることは、はなはだ不自然である、といわざるをえない。もつとも、被告人多田の原審供述によると、同被告人は、自己の名代として吉村良吉を挨拶に伺わせた旨述べており、吉村も、原審において、被告人多田の右供述に沿う証言をしており、この吉村証言は、原判示の面会証写ならびにハイヤー一〇六八号車の代金請求書および領収書の記載によつて裏付けられているようにみえる。しかしながら、吉村は、検察官の取調に対しては、証言内容のような事実を全く述べておらず、同人が、公判段階において、かかる記憶をよみがえらせたとすることは、不自然といわざるをえない。また、面会証写によると、大山、吉村、被告人多田ら一行の三者は、各別に第一議員会館に入館しており、入館の時間帯は、大山と吉村とが午後一時から二時の間、被告人多田ら一行が午後二時から三時の間と認められ、これによると、大山が被告人多田ら一行に先立つて第一議員会館に入館していることは明らかであるが、大山の検面調書には、原判示金員供与当日の前日ころ、大タク協の井上奨から電話連絡があり、当日、指定の時間に議員会館の玄関で、被告人多田を待ち受けていた旨の記載があるから、大山の入館が多田ら一行に先立つているからといつて、直ちに同人が単身で原議員を訪問した証跡にはなりがたいというべきである。原判決は、大山の作成した面会証に、原議員に対し面会を申し込んだ旨の記載のあることを重視し、大山が、井上から上記電話連絡を受けた際、原議員を訪問する予定であることを聞いたとする証拠は全くなく、また、大山じしんに当日原議員に面談する予定があつたとも認められないのに、かかる記載をなしえたことは、大山が第一議員会館に赴く前に、被告人多田と出会い、原議員を訪問して金封を届けるよう依頼されていたからであるとして、同所で被告人多田を待ち受けていた旨の大山の検面調書の記載は信用しがたいとし、同人や被告人多田が原審で証言ないし供述するように、大山は、電話連絡によつて有明館に赴き、同所で被告人多田から、原議員に対する金封を受け取り、これを同議員に供与すべく単身有明館を出発し、別に同議員との面会に赴いた吉村とほぼ時を同じくして、第一議員会館の原議員の事務室を訪れたとの事実を認定している。しかしながら、なるほど、大山が井上から電話連絡を受けた際、原議員を訪問する予定であるという話を聞いていたことを直接に立証する証拠はないが、かかる事項は通常告げられるものと解するのが相当であり、大山が原議員に面会を求める旨の面会証を作成していることは、逆に、右電話連絡の際原議員方への訪問予定を知らされていたことの証跡ともなりうるのである。また、前記のように、国会議員に金員を供与しようとしてその受領を拒否されるなどということは、特異な事例であり、かつ、金員供与の関係者にとつて重大な事柄と思われるので、その時期、場面などは、比較的よく記憶に残るものと解するのが相当であるところ、原判決が錯覚供述であるという昭和四一年四月二二日には、金員の供与が予定されていたものではないから、被告人多田らの検面調書における供述中の記憶の混同は、原議員との言葉のやりとりのみに限られ、同議員に金員の受領を拒否されたとの点に関してまで、記憶の混同があつたとするのは相当でない、というべきである。してみると、被告人多田および坪井準二の検面調書における供述は、すくなくとも、上記の限度で措信しうるというべきであり、その余の者らの前記検面調書、原健三郎、磯口弘栄の各原審証言をも総合すれば、被告人多田、大山貞雄、坪井準二らは、被告人関谷に金員を供与してのち、原議員の事務室を訪れ、同議員と面談したこと、その際、大山が五〇万円入りの金封を差し出したところ、同議員が原判示のようにいつてその受領を拒否したこと、そこで、同議員に対する金員の供与をあきらめて、同議員の事務室を退去したが、このことは、同所付近の廊下にいた沢春蔵、高士良治、井上奨らに告げられ、同所で相談をした結果、その余の金員供与計画の実行を取りやめ、藍亭に引き揚げることにしたことなどの事実を優に肯認しうるというべきである。大山貞雄、吉村良吉のみが原議員と面談したと認定した原判決には、事実認定上の誤りはあるが、右誤りは判決に影響を及ぼすものでないことは明らかである。

所論は、まず、原健三郎の前記原審証言は、(1)金封の受領を拒否した理由が不自然であり、合理性、説得性がないこと、(2)金封の受領を拒否し、秘書の磯口に証人になれと指示したものとすれば、金封の形状、体裁等をよく記憶しているはずであるのに、その記憶が不正確であること、(3)秘書の磯口に後日のため証人になれと指示するなどのことは、かねて親しい間柄にあつた大山の面前でとつた態度としてはおかしいこと、(4)証言にあたり、質問を先取りして、検察官に質問を要求するなど、証言態度に虚構性があることなどの点をあげて、その信用性は疑わしいというべきである、というのである。

しかしながら、(1)については、原証言によると、大山の差し出した金封が、その厚みからして五〇万円か一〇〇万円という高額のように思われ、タクシー業界に対して格別の世話をした心当りもなく、同人が日頃お世話になつているというだけで、後援会に献金するとも、その会費であるともいわず、その趣旨について要領がつかめなかつたため、金封の受領を拒否したと述べているのであつて、拒否の理由は自然であつて、合理性、説得性を欠くものとは思われない。同議員は、本件の前後ころに、タクシー業者から多額の政治献金を受けていることは所論のとおりであり、同議員がタクシー業者に対し、政治資金の拠出を要望したことのあることは、当審における口羽玉人の証言等によつても認めうるところであるが、右献金は、後援会費ないしは選挙等のものであつて、本件金員とは性質を異にしているから、所論の事実をもつてしても、受領拒否の証言内容の信用性を左右することはできないと思われる。(2)については、原議員は、テーブルの上に差し出された金封を突き返したと述べており、これによれば、金封を手にとつて仔細にながめたわけでもないから、その形状、体裁等について、正確に証言をなしえないことは、むしろ当然というべきであつて、同人の証言内容の信用性を減殺するものではない、と考える。(3)については、たしかに、原議員と大山とは、旧知の間柄であつて、所論指摘の発言は、やや不自然な感もしないではない。しかし、原証言によると、同人は、大山がかねて後援会費も納めていないのに、突然に大金を持つてきたことが不本意、不愉快であつたと述べており、この心情と、大山が執拗に金封の受領を迫つたという同証言によつて認められるその場の状況とを総合すると、同議員が秘書に対し、証人になれと指示したことは、不自然であつて措信しがたいとまではいいえないものと考える。(4)については、たしかに、原証人は、「金包みをつき返したら大山はどうしたか」という検察官の質問に対し、「だから今言つたように、そんなこと言わんと取つて下さいと言うたからつき返した。そこで帰つてくれと言うたとき、それから先質問して下さい。秘書を呼んで」と答えており、質問者である検察官に対し次の質問を要求する発言をしていることが認められ、所論は、この発言をとらえて、その前後のことにつき詳細な質問がなされると、馬脚が露見することをおそれたものと主張するのであるが、同証言内容を検討しても、同証人が、他に、金包みを突き返した前後の模様について、証言を回避する態度をとつたと認められる部分はなく、右発言も証言回避の目的に出たものとは認められないから、かかる発言をした事実は、同証言内容の信用性を左右するものではない、というべきである。

所論は、次に、磯口弘栄の前記原審証言は、(1)原議員による金封の受領拒否と同議員の指示に関してのみ記憶が鮮明であつて、その前後の模様などについて曖昧であること、(2)証人になれと指示されたというのなら、メモ位をしているはずであるのに、これをしていないこと、(3)自ら頼りない証人と告白していること、などの点をあげて、その信用性は疑わしいというべきである、というのである。

しかしながら、(1)については、磯口は、本件について、昭和四九年一〇月一八日と同年一一月一五日との二回にわたつて証言しているのであつて、九年余も経過した出来事について証言していることにかんがみると、とくに重要な事項についてのみ記憶が鮮明で、その余の事項についての記憶があいまいであることは、やむをえないことと思われる。(2)については、原議員に指示されて磯口が記憶にとどめておくべき事項は、大山の差し出した金封の受領を拒否したという単純な事項であり、また、原議員の指示内容は、文字どおり後日の証言に備えよという意味ではなく、「よく見ておけ」という程度のものと理解できるから、メモの作成されていない事実をもつて、直ちに指示の存在を疑うのは相当でない、と考える。(3)については、磯口の原審証言を検討しても、同証人が、自己の証言内容の信用性を、自ら否定しているものとは、到底解することができず、所論はとりえないものである。

所論は、更に、大山貞雄の前記検面調書における供述は、検察官の被告人多田の錯覚供述を基礎にしての追及に合わせたものと推測され、その信用性は疑わしい、というのである。

たしかに、被告人多田の検面調書における供述は、一部に錯覚によると思われるものを含んでいるが、本件の当日、同被告人自らが原議員の事務室を訪れ、金封の受領拒否にあつたという点は、これを措信しうることは前記のとおりであるから、所論の推測は、その前提を欠くものである。大山は、原議員の後援会である本邦政経研究会の会長をしていたものであつて、原議員をかばいだてする立場にはあつたが、大山の検面調書における供述中、原議員が受領を拒否したため、適当な時機に献金するということで、本件金封を預つて帰つたとの部分は、後日に兵乗協から大タク協に対し、本件五〇万円の預り証が送付されている事実によつても裏付けられているのであつて、大山の検察官に対する供述は、信用しうるものというべきである。

所論は、また、吉村良吉の前記原審証言は、その内容が自然で具体的であり、原議員室訪問の経過に関する証言内容は、原判決の事実認定と一致しており、その信用性は高いというべきである、というのである。

たしかに、吉村の原審証言は、原議員室訪問の経過、同議員の発言内容、態度等について、詳細、具体的に述べるものであり、ことに、原議員室訪問の経過に関する証言内容は、これに沿う前記面会証、ハイヤー代金の請求書および領収書が存在しており、これらを根拠とする原判決の認定事実とも合致している。しかしながら、吉村は、検察官の取調に対しては、証言内容とは全く異なつて、被告人多田らが原議員のところに行つたと思うという程度の記憶しかない旨を述べ、現金を届けて廻つたことは知らないとも述べており、前記面会証を示して質問を受けた際にも、被告人多田の指示で、大山の後を追つて、原議員室を訪れ同議員に面接したとの原審証言内容を想起しえていないのであつて、公判段階に至つて、かかる具体的、詳細な記憶がよみがえつたとする点に不自然があるうえ、同人の原審証言中、原議員が大山に対し領収書を交付するのを目撃したとの部分は、それにあたる領収書が存在せず、かえつて前記のように兵乗協の預り証が存在するのみであるなど、客観的な事実と矛盾しているのである。もつとも、前記面会証、ハイヤー代金の請求書および領収書は、吉村の原審証言に沿うものであり、これらによると、被告人多田ら一行と寿原正一の事務所のあるグランドホテルまで同行していた吉村が、同被告人ら一行に先立つて、単身で第一議員会館に入館していることは認められるが、その理由が、仮に吉村の原審証言のように、被告人多田の名代となつて原議員に挨拶をするためであつたというのであれば、容易に記憶を喚起しえたと思われるのに、検察官の取調に際しては、面会証を示されながらも、なお単身で第一議員会館に行つた理由はわからないと述べているのであつて、これによれば、その理由は、すくなくとも、同人が原審公判廷で述べているような重要なものではなく、同会館で待ち合せをしている大山に対する連絡など日常茶飯のものであつたと認むべきである。原議員室訪問の経過に関する原判決の事実認定は、前記のとおり、当裁判所の首肯しがたいところであつて、これとの一致を理由として、吉村証言の信用性を主張する所論は、前提を欠くものというべきである。

所論は、更に、(1)本件献金から数日経過した昭和四〇年八月一二日、三日ころと、翌四一年三月の決算期の直前の二回にわたり、大タク協の経理担当者であつた辻井初男から兵乗協に対し、原議員分五〇万円の領収書の送付を請求した事実、(2)原判決の事実認定によると、原議員の叱責が、本件当日の昭和四〇年八月一〇日と、翌四一年四月二二日の二回もあつたことになり、不自然であること、(3)原議員室を訪問してのちも、徳安議員室、田辺議員室を訪れ、藍亭において、田辺議員分は坪井準二、小川議員分は吉村良吉に預けるなど、献金を続行した分のあること、(4)本件捜査開始後の昭和四二年八月一二日ころの早朝、原議員の秘書の磯口弘栄から被告人多田に対し、「五〇万円を返還するから領収書を返してくれ」との電話があり、「兵乗協へ話してくれ」と返答しておいたところ、同年八月一五日ころ、大山貞雄が上京して磯口弘栄から、現金五〇万円を受領していることなどの事実は、前記原判決の認定と矛盾する事実であつて、これらの事実によれば、原議員による金封の受領拒否、叱責の事実の存在は疑わしいというべきである、というのである。

しかしながら、(1)については、大山貞雄、被告人多田らの前記検面調書によると、原議員に受領を拒否された五〇万円は、兵乗協会長の大山に対し、時機をみて同議員に渡してほしいと依頼して預けられた事実が認められるから、所論の領収書の送付を請求した事実は、原判決の事実認定と矛盾するものではない、というべきである。(2)については、たしかに、原議員の叱責が二回あつたということになるが、本件の場合は、金封の供与に関連してのものであり、昭和四一年四月二二日の場合は、運賃値上げ申請等に関連したものであつて、叱責の理由および内容が異なつているから、二回あつたということは、なんら不自然ではないというべきである。(3)については、たしかに、関係証拠によると、徳安議員室は別として、原議員室を訪問してのち、田辺議員室の訪問が行われていること、また、藍亭において、田辺議員分は坪井準二に、小川議員分は吉村良吉に預けられていることは所論のとおりであるが、田辺議員室へは謝礼と挨拶に赴いたと認めるべきであり、また、田辺議員分と小川議員分については、時機と場所を選んで献金しようとして預けられたものと認められるので、いずれも、原判決の事実認定と矛盾することはなく、むしろ、五人の議員に供与すべき金封の事後処理として、結局その供与を取りやめていることは、原議員により叱責、注意がなされたとの原判示事実の存在を推認させるに足るものというべきである。(4)については、たしかに、大山は、原審において、本件につき新聞報道があつたのちの昭和四二年八月一二日ころ、原議員の秘書磯口から電話があり、そのころ上京して同人から五〇万円を預つたこと、右五〇万円を同月一六日に通知預金にしていたところ、検察官の取調を受けてのち、右預金を解約して大タク協の預金口座に振込送金したことなど所論に沿う証言をしており、本件捜査開始後において急いで五〇万円を返金している事実は、本件当日に金封を受領したとの事実を窺わせるようではある。しかしながら、大山は、原審公判廷においても、また、検察官の取調に際しても、本件金封を原議員が受け取つたと述べているのではなく、本件金封は、その受領を拒否されたため、時機をみて献金すべく持ち帰り、兵乗協で保管していたところ、昭和四二年一月二九日の衆議院議員選挙に原議員が立候補したので、同月一〇日ころ、尼崎市内の選挙事務所を訪れて、兵乗協からの一〇万円の陣中見舞を届けた際に、再度献金をしたこと、その際、秘書の磯口に対しては、五〇万円の方は一度持つて行つて辞退された分である旨を説明しており、一〇万円の陣中見舞については、本邦政経研究会の領収書を貰つているが、五〇万円については、磯口の預り証を貰つたにすぎない旨を供述しており、この供述、とりわけ、次の選挙に際し再献金したという点は、徳安議員に対し沢春蔵が、本件の際に準備した金員をもつてした献金の形態と類似しており、眞野平八郎の原審証言によつても覆すに足りず、措信しうるものというべきであるから、所論の返金の事実は、原議員が本件金封を受領したことを裏付けるものとはいいえない、というべきである。

その他、所論にかんがみ更に検討しても、原議員による五〇万円入りの金封受領拒否の事実および叱責の事実は、優に肯認しうるところであつて、同議員が右金封を受領したとの所論の事実は、これを認めることはできない。

3  請託・受請託に関する事実認定について

論旨は、要するに、本件においては、請託・受請託の事実がないのに、これがあるとした原判決には、事実認定上の誤りがある、というのである。

そこで、案ずるに、原判決書によると、原判決は、被告人関谷および寿原正一の両名は、いずれも、衆議院議員として、法律案の発議、審議、表決等をなす職務に従事していたものであるとしたうえ、原判示金員の授受に関してなされた請託の内容として、被告人関谷の関係では、同被告人は、かねてより本件石油ガス税法案について、廃案或いは税率の軽減、課税実施時期の延期など同法案がハイヤータクシー業者に有利に修正されるよう、同法案の審議表決にあたつて、自ら同旨の意思を表明しならびに同様の意思表明につき他の議員を説得勧誘するよう、被告人多田らから依頼を受けていたが、原判示金員供与当日においても、右同様の依頼を受けた事実を認定し、被告人多嶋、同多田の関係では、同被告人らは、被告人関谷および寿原正一に対し、右と同様の依頼をした事実を認定しているところ、原判決の右罪となるべき事実の判示内容と、原判決が判示第六の二「被告人関谷、寿原に対する請託について」と題する部分において請託に関し説示している内容に徴すると、原判決は、原判示金員供与当日における依頼を主たる構成事実として、本件における請託を肯認していることは明らかである。

そこで、以下においては、原判示金員供与当日における請託の有無を中心として案ずるに、原判示金員供与当日、被告人多田らが、被告人関谷および寿原正一の事務室を訪れた際、平素世話になつていることの謝礼を述べ、各一〇〇万円入りの金封を差し出し、同人らとしばらく面談をしてのち、今後もよろしく願う旨の挨拶をして、事務室を退去していること、寿原がその場で右金封を受領したことは関係証拠によつて明らかであり、被告人関谷も右金封をその場で自ら受領したことは、前記のいわゆる安永問題に関し詳細に説示したとおり、これを認めることができるところ、右面談の間、本件石油ガス税法案が話題になつたかどうかについて、関係人の原審公判における供述をみると、被告人関谷の事務室での状況について、被告人多田は、後援会に献金をするためにきた旨の来意を告げ、被告人関谷と二〇分ないし三〇分間雑談をしたが、その間、本件石油ガス税法案が話題になつた記憶はなく、同被告人の話の中で記憶に残つていることは、同被告人が六甲山で行われるセミナーに出席して話をするから、聞きにきて下さいといわれたことぐらいである旨供述し、口羽玉人も、本件法案が話題になつたかどうか記憶にないと証言し、坪井準二は、主たる話題は運賃問題、免廃問題であつて、本件法案の審議状況等に関する話はなかつたと思う旨の証言をし、高士良治は、本件法案の話は一言も出ていない旨の証言をしており、寿原正一の事務室での状況について、被告人多田は、後援会に献金をするためにきた旨の来意を告げ、寿原と一五分ないし二〇分間雑談したが、中元の挨拶に行つただけなので、本件法案に関し何も話をしていないし、また、頼んでもおらず、寿原がLPガスに関し発言したかどうかの記憶もない旨供述し、口羽玉人も、本件法案の話が出たかどうか記憶にないと証言し、坪井準二も、LPガスに関する話は出たと思うが、本件法案に関する話が出たかどうか記憶にない旨の証言をするなど、関係人の原審公判廷での供述内容は、いずれも、原判示に沿わないものであり、被告人多田の検察官に対する供述内容もまた、被告人関谷方および寿原方のいずれの場合においても、自らすすんでLPガスの問題について発言していないと思うし、この問題が話題になつたかどうか覚えていない旨の前同趣旨のものである。

これらに対し、坪井準二は、検察官の取調に際し、被告人関谷方での状況について、同被告人が、本件石油ガス税法案については十分やるから任しておいて下さいといつたこと、また、同法案は時間切れで今国会では流れるという意味のことをいい、次の国会までは時間があるから、その間に工作しなければしかたがない旨をいわれたこと、そこで、一同「是非共よろしくお願いします」と尽力方を依頼した旨を、また、寿原方における状況について、同人が、本件法案の審議状況等について、自分一人が尽力してやつているのだといわぬばかりの調子で話していた印象が残つており、今後の法案の見通しについても話が出たような記憶があり、同人方を辞去するに際し被告人多田から「いろいろお世話になりますが、今後共よろしくお願いします」と尽力方を依頼した旨供述しており、高士良治は、検察官に対し、被告人関谷方において、具体的な内容までは記憶していないが、LPGの話も出た旨を供述しており、沢春蔵も、検察官に対して、寿原方での状況につき、同人の発言内容につき詳細な記憶はないと述べながらも、同人が「例の勇ましい調子で、LPG問題はまるで自分一人がやつたかのように話された」旨、右坪井の検面調書における供述と符節を合わせるような供述をしているのである。

上記の関係人の各供述のうち、原判示金員供与当日、被告人関谷方および寿原方において、本件石油ガス税法案のことが話題にのぼらなかつたという点は、関係証拠によつて認められる、原判示のような被告人関谷および寿原と本件金員供与者である被告人多田ら大タク協関係者との関係、とりわけ、相互に親密な間柄にあつて、被告人関谷および寿原は、本件石油ガス税法案を審議する立場にある衆議院の議員であり、被告人多田らは、本件法案の成立に重大な利害関係を有するタクシー業者であること、後記のとおり、被告人関谷および寿原は、本件当日以前から、被告人多田らに対し、本件法案の廃案、否決ないしは有利な修正に向け尽力する旨の意向を表明し、被告人多田らもこれに期待を寄せていたこと、また、本件法案の審議状況、とりわけ、本件当日は、第四九回国会が閉会する前日にあたり、当時衆議院大蔵委員会で審査中の本件法案は、先の第四八回国会に続いて継続審査となり次の第五〇回国会にその審査が持ち越される見込みであつたことなどに徴すると、極めて不自然であつて、被告人関谷および寿原が、本件法案につき、すくなくとも、坪井準二が検面調書で供述するような内容の発言をしたことは優に肯認しうるというべきである。

ところで、坪井準二の前記検面調書の記載によつても、被告人多田らが、原判示金員供与当日、被告人関谷および寿原に対し、原判示の趣旨を明示的に申し入れた事実までは肯認することはできないが、関係証拠によつて認められる、本件石油ガス税法案に関する大タク協の反対運動の状況、とりわけ、関係国会議員等に対する陳情内容、被告人関谷および寿原に期待した内容、被告人多田、同多嶋ら大タク協関係者が、原判示金員供与当日以前において、被告人関谷および寿原と面談ないし会合した際における右両名の発言内容とこれに対する大タク協関係者の対応状況のほか、被告人関谷および寿原の尽力状況、本件石油ガス税法案の審議状況等によれば、被告人関谷および寿原に対し、右同日以前においても、原判示の趣旨の依頼がなされており、右同日において、重ねて同趣旨の依頼がなされたものと認めるのが相当である。すなわち、関係証拠によると、被告人多田、同多嶋ら大タク協関係者は、自動車用燃料に使用されるLPガスに対する課税問題が、いまだ総理府税制調査会ならびに自民党政務調査会税制調査会で検討中の段階から、課税反対運動に取り組み、被告人関谷および寿原正一を含む関係国会議員等に対し、課税反対の趣旨の陳情をしていたところ、昭和三九年一二月一八日、課税の時期を当初の昭和四〇年四月一日から九か月延期する旨の自民党の党議決定をみるや、これを従前の課税反対運動の一応の成果であると評価し、自民党が絶対多数を占める当時の政治情勢のもとにおいては、右党議決定どおりの法律が成立するものと懸念し、党議どおりのトン当り一万七五〇〇円の課税の実施に対処するため、昭和四〇年一月に入ると運賃値上申請の準備にとりかかつたが、なお課税反対の意思を捨ててしまつたわけではなく、社会党および民社党が課税反対に同調する動きをみせたことなどのその後の政治情勢の変化や、全乗連の要請ないし指示もあつて、本件石油ガス税法案が衆議院に提出された同年二月一一日以降においても、同法案の廃案ないしは課税額の減額、課税実施時期の延期等を求めて、各種の陳情活動等に参画しており、とりわけ、原判示金員供与当日の直前にあたる同年八月二日には、大タク協LPG委員長であつた谷源治郎、同副委員長であつた口羽玉人、LPG委員であつた秋山誠作、岸下常一のほか、井上奨、佐藤敏雄両専務理事、上中善雄業務課長らが上京し、全乗連、東旅協(東京旅客自動車協会の略称)の理事会に出席して、「八月八日ごろが山場である」旨の法案審議の情勢の説明を聞いてのち、地元出身の衆議院大蔵委員に対し、課税反対の陳情書を交付して陳情していること、被告人関谷および寿原は、いずれも、衆議院運輸委員会の委員で、本件法案を審査していた大蔵委員会の委員ではなかつたが、ともに当初から課税に反対の意見を持つており、法案提出後においては、むしろ、課税額の減額、課税実施時期の延期等の軽減措置を構すべき旨の意向を有していたこと、右両名とかねて昵懇の間柄にあつた被告人多田、同多嶋ら大タク協関係者は、運輸行政に関する諸問題について造詣が深く、かつ、長老議員として発言力の大きい被告人関谷、自らもタクシー事業の経営に関与するなどして業界の実情にくわしく、かつ、行動力のある寿原の両名が、その政治的手腕を発揮して、本件石油ガス税法案を、否決、廃案に持ち込み、ないしは業者に有利な内容のものに修正するために、その旨の審議表決に加わり、また、他の議員を勧誘説得することなどの尽力をすることを期待しており、被告人関谷および寿原も、このことを十分に知悉したうえ、原判示のとおり、同僚議員に対し、課税の取りやめ、ないしは内容の修正をすべき旨の働きかけをしており、また、被告人多田、同多嶋ら大タク協関係者に対し、次に述べるような発言をし、被告人多田らも、尽力方を依頼する趣旨の発言をしていること、すなわち、被告人関谷は、(1)本件石油ガス税法案が衆議院に提出された昭和四〇年二月一一日、大阪コクサイホテルで開催された松山会関西支部主催の被告人関谷を囲む懇談会の席上において、課税九か月延期の党議決定に至る過程における自己の尽力の程を披露したのち、九か月延期にとどまつたことは残念であるが、今後も継続して行うことが予想される業界の課税反対等の運動に対しては、援助を惜しまないし、本件石油ガス税法案が国会に提出され、大蔵委員会で審査された場合には、業界のために努力をする旨を述べており、(2)同年四月九日、第一議員会館の同被告人の事務室において、来訪した被告人多田、同多嶋に対し、あくまでも課税反対というのは相当問題であるといいながらも、なお努力をしている旨、また、業界の実情をよく知らない大蔵委員会の委員に対しては、被告人関谷の所属する運輸委員会の方から説明をしてやつている旨、被告人多嶋らの期待どおりの尽力をしている趣旨の発言をしており、(3)同月二七日、被告人多嶋らと東京赤坂の料亭「新富田」で会食をした際、同被告人に対し、本件石油ガス税法案に関する党内情勢にふれ、党内では再考の空気が出ている旨の発言をしており、(4)同年六月二八日、大阪コクサイホテルで開催された大タク協第四回定時総会の席上において、被告人多田、同多嶋らを含む多数の会員会社代表者らの面前で、「LPG課税は来年度まで延期されたが、次回の国会で議案が通過するようであれば、過日審議未了にした意味がなくなるので、寿原氏と共々手を打つてゆきたい」旨の発言をしており、寿原は、右(4)の席上において、LPG課税は「結束による協力があれば阻止できる」旨、同法案を廃案に持ち込むためには、業界の結束が必要である旨の発言をしており、以上の各機会において、その都度、被告人多田、同多嶋らからも、今後も尽力を願う趣旨の発言がなされていること、以上の事実が認められる。そして、これらの事実によると、原判示金員供与当日以前において、すでに、被告人関谷および寿原の両名は、被告人多田、同多嶋らと大タク協関係者のために、本件石油ガス税法案の廃案、否決ないしは有利な修正に向けて、尽力をする旨の意向を表明し、被告人多田、同多嶋ら大タク協関係者は、被告人関谷および寿原に対し、その旨を期待し、尽力方を依頼していたものと認めることができ、両者間における請託・受請託の関係は、原判示金員供与当日以前においてすでに成立していたものと解するのが相当である。ところで、被告人多田らは、上記の経過を経て、同年八月一〇日、各一〇〇万円の現金を供与すべく、被告人関谷および寿原の事務室を訪れているのであるが、以上の経緯と前記のような本件法案の審査状況、被告人多田らの訪問時の状況、とりわけ、同日が第四九回国会閉会の前日にあたり、本件法案は、同国会では審議未了となり、その成否が次国会以降に持ち越される状況にあつたこと、被告人多田ほか五名ないし四名もの多数の大タク協の有力メンバーが、大タク協を代表して訪問していることなどに徴すると、その訪問の意味は、単なる中元の贈物をするに伴う挨拶としてはいかにも大げさであつて、大タク協が当面する重要課題、とりわけ、かねて尽力方を依頼し、法案審議の推移に重大な関心を寄せていた、本件石油ガス税法案について、被告人関谷および寿原がかつてした尽力に謝意をあらわし、併せて原判示のような今後の尽力を依頼する趣旨を含むものであつたことは、容易に理解できたものと認められ、それゆえにこそ、右両名において、前記のように本件法案の審議状況、自己の尽力の程を話したものと理解するのが自然であつて、「いつもお世話になつています」、「いつも御厄介になつています」、「今後ともよろしくお願いします」という短い言葉ではあるが、その中に、上記の趣旨を十分に看取しうるというべきであつて、原判示金員供与当日において、重ねて請託のあつたことは優に肯認しうるものというべきである。

所論は、まず、(1)原判決は、課税九か月延期の党議決定前における依頼をも本件請託に含めて認定したものと解さざるをえないが、その場合の本件法案とは何か、依頼の対象となる職務行為は何か、はなはだ不分明であること、(2)原判示金員供与当日における請託と同日以前における依頼とを同列に評価したのかどうか明白ではなく、仮りに同列に評価したとすれば、その日時、場所を特定し、その内容を罪となるべき事実中において認定すべきであるのにこれをしておらず、また、「右同様の依頼をなし」とは具体的にどの依頼を指すのか不明であること、(3)原判示金員供与当日における僅かな会話によつて、原判示のような請託の趣旨が、以心伝心で当事者間に自明の具体的内容として理解できたとした点は、最も重大な事実誤認であること、(4)判示第四において認定した会話、挨拶、演説の内容などを、LPG課税反対という観点のみから考察し、請託ありと短絡的に結びつけ、そこにはなんら合理的理由を見出しえないこと、以上の四点を原判決の基本的問題点として指摘している。

しかしながら、(1)については、原判決が、党議決定前における依頼をも本件請託内容として認定したものかどうか必ずしも明らかではないが、党議決定前における本件法案とは、自動車用燃料であるLPガスに対する課税を内容とする法案を、依頼の対象となる職務行為とは、将来、右法案が国会に提出された場合における原判示のような尽力行為を意味するものであることは、原判決文に徴し明らかであるから、原判決には、所論のような不分明な事実を認定した誤りはない。(2)については、原判決は、原判示金員供与当日における請託のほか、同日以前における依頼をも本件請託内容として認定したものと解せられるが、罪となるべき事実として、原判示金員供与当日における請託を認定している以上、同日以前における請託の日時、場所を特定し、その内容を罪となるべき事実中において認定しなくても、理由不備にあたらないことは、前に述べたとおりであり、また、原判決のいう「右同様の依頼」とは、原判決がその直前において判示する請託内容を意味するものであることは判文に徴し明らかであるから、原判決には、所論のような内容不明の事実を認定した誤りはない。(3)については、原判決は、所論のように、当日の僅かな会話のみによつて請託の趣旨を認定したものではなく、金員供与に至る経緯、被告人多田、同多嶋らが被告人関谷および寿原に期待し依頼していた趣旨、被告人関谷および寿原が認識了承していた被告人多田、同多嶋らの期待と依頼の趣旨、原判示金員供与当日における被告人多田、同関谷および寿原の言動などを総合し、「今後ともよろしくお願いします」という被告人多田らの言葉に、原判示のような請託の趣旨が、当事者間に自明のものとして含まれていると認定しているのであつて、この原判決の事実認定は、前記のとおりに相当であつて、所論の誤りはない。(4)については、原判示の各機会における会話、挨拶、演説等の内容に関する原判決の事実認定は、相当であつて誤りがあるものとは認められず、原判決は、会話等の内容、会合や集会の趣旨、目的、当時の客観的情勢などを総合し、会話等の意味するところを正当に認定しているものと認められ、会話等の中の片言隻句をとつて、短絡的に請託と結びつけたものとは解しがたく、この点の所論はとることができない。

所論は、次に、国会議員に対する政治献金が法的に許容されている法制度の下では、賄賂性の有無は、職務との対価性が強く認められるか否かにかかつており、請託の存否は、この対価性の存否について不可決の要素であるから、その存否の認定は、慎重かつ厳格になさるべきであつて、そのためには、単なる事実の通知、意思表示や期待あるいは願望更には陳情や請願等との区別を念頭におきつつ、これらが政治家に対する正当にして自由な国民の権利であること、国会議員の職務が一般公務員とは異質な性格を持つものであることなどをも合わせ考察して、違法と評価すべき特定の職務行為の依頼があつたか否かを決すべきところ、本件においては、(1)違法と評価すべき特定の職務行為の依頼がないこと、(2)依頼の対象とされる職務行為が具体的に特定していないこと、以上の点においては請託はなかつたというべきである、というのである。

しかしながら、(1)については、たしかに、被告人関谷および寿原に対し、原判示のような内容の依頼をすることじたいは、許されることというべきであるが、一般に陳情、請願等が許される事項であつても、それに対応する職務に関する行為の対価として金銭等の授受が行われた場合には、刑法一九七条一項後段の受託収賄罪が成立すると解すべきであつて、同罪の成立には、請託内容自体の正・不正は問わないというべきであるから、所論は、独自の見解を前提として事実誤認をいうことに帰し、採用することはできない。(2)については、被告人多嶋、同多田らが被告人関谷および寿原に対して依頼した内容は、証拠上、昭和四〇年二月一一日に内閣から衆議院に提出され、原判示金員供与当時、衆議院大蔵委員会で審査中であつた石油ガス税法案について、衆議院議員である被告人関谷および寿原に対し、同法案の審議に関し、同法案が廃案となり、或いは税率の軽減、課税実施時期の延期など、ハイヤータクシー業者に有利に修正されるよう、発言、表決等の権限行使に際して自ら同旨の意思を表明すること、ならびに同院大蔵委員会の委員である議員、その他の議員に対しても、同様の意思表明をするよう勧誘説得することであつたと認められ、これによれば、依頼にかかる職務行為は、具体的に特定しているとみることができ、所論のように、一般的に漠然としたものではないから、所論はとることができない。もつとも、被告人多嶋、同多田らが、上記の依頼をした機会に、現実に発言をした内容は、「よろしくお願いします」という一般的な漠然とした依頼の言葉であつたことは所論のとおりであるが、同被告人らが、本件石油ガス税法案について、廃案ないし内容の有利な修正を期待していたことは、被告人関谷および寿原において十分に知悉していたことであり、また、同人らが衆議院議員として有する権限についても、その詳細についてまではともかく、上記の程度のことは、一般常識として依頼の当然の前提とされていたものと認められるから、依頼に際し、同人らの権限を具体的に指摘して、これをどのように行使してほしいかということまでを明示しなくても、その趣旨が上記の内容のものであることは、当事者において自明のこととして了解できたものと解せられ、依頼の対象となる職務行為の特定性、具体性は、かかる黙示の行為によつてみたされることで足りると解すべきであるから、現実に発言された言葉の表面上の意味のみをとらえ、依頼の内容を一般的、漠然なものとみるのは相当でない、と考える。

所論は、更に、原判決が請託の趣旨認定の根拠として挙示した被告人多嶋、沢春蔵、坪井準二の各検面調書およびその他の大タク協関係者の各検面調書における陳情の趣旨に関する供述記載は、すべて一つの原型をもとにして録取されたものであつてその内容は、不自然、不合理であり、かつ、非現実性が顕著であつて、これらの供述記載は、供述者自らの意思ではなく、明らかに取調官の一定の理論にもとづく誘導により創作されたものと断定せざるをえないものであり、ことに、被告人多嶋の供述記載は、その最も典型的なものであつて、自民党圧倒的多数の政治情勢、委員会中心主義の国会審議の実際等にかんがみると、不自然かつ非現実的であつて、措信しえないものである、というのである。

たしかに、所論指摘の検面調書における陳情趣旨に関する供述記載は、ほぼ同一の趣旨を述べるものではあるが、供述記載自体によつても、供述者の個性が窺われ、所論にかんがみ供述記載内容を検討しても、これら供述記載をすべて取調官の誘導による創作という所論は、到底とりえないところである。被告人多嶋、沢春蔵、坪井準二らは、タクシー業者団体の幹部ないしは業者であつて、本件法案による課税については利害を共通にしており、課税が経営に及ぼす影響を真摯に受けとめ、課税問題をできる限り業者に有利に導きたいという共通の目的のもとに、一体となつて課税反対運動を遂行していたものであつて、その間、本件法案の審議状況、国会の組織と運営の状況等について、自ら研究し、或いは他から聞知するなどして知識を得る機会はあつたと認められるから、同人らの検面調書における陳情の趣旨に関する記載が、ほぼ同一の内容に帰するものであり、また、その内容に国会の組織、運営等の専門的事項にふれる部分があつても、不自然ではないというべきである。所論が非現実的な供述記載の一例として引用する、本会議の場における廃案、否決ないし修正を期待したという部分は、たしかに、被告人多嶋の検面調書には、大蔵委員会におけるそれとほぼ同様の可能性のあるものとして述べられている部分もあるが、坪井準二の検面調書には、「本会議でひつくりかえすのは相当むずかしい、むずかしいけれども、そういうことも出来るのだそうだということも聞きました」との旨、困難ではあるが可能であることを聞知していた趣旨の記載があるうえ、依頼の相手方が、大蔵委員会の委員ではない被告人関谷および寿原であつたことにかんがみると、同人らの本会議の場における尽力を期待したという供述内容は、必らずしも不自然、不合理ではなく、また、非現実的なものとはいいえない、と思われる。

所論は、また、原判示金員供与当日以前における請託について、(1)原判決は、被告人多田、同多嶋らが同関谷、寿原と面談した際或いは同人らの出席した大会等のすべての機会に、その都度、本件法案につき依頼をしたとしているが、そのほとんどは、別に明確な目的、趣旨の存した場合であり、ことに、課税九か月延期の党議決定後は、LPGの話が出たとしても、雑談か情報の提供にとどまり、陳情とすら評価できない場合がほとんどであつて、請託と認めうる場合は皆無であること、(2)被告人関谷および寿原は、政治家としての信念にもとづき課税に反対していたのであるから、同人らに課税に反対してくれるよう請託する必要はなく、同人らに対する陳情は、より業界の実情について理解を求め、同人らの政策に同調し、そのための政治活動を支援することの意味で、意義があるにすぎないこと、(3)原判決が認定した酒席等における会話の中には、被告人多嶋の検面調書を唯一の根拠とするものがあるが、同調書における供述は、記憶の限界を越えており、信用性がないとみるべきであつて、原判決認定どおりの会話があつたかどうか疑問であること、(4)原判決は、酒席、大会等における発言内容をもつて請託の事実を認定しているが、これは、発言の真意、意図を考慮せずに形式的に理解し、また、課税反対と両立しない運賃値上げに関する発言を無視した結果であつて、不当であること、(5)原判決は、被告人多田、同多嶋らの「よろしくお願いします」との言辞をもつて、尽力を依頼した事実を認定しているが、右は単なる儀礼的な挨拶ないしは一般的な日頃の好誼に対する感謝の気持の表現とみるべきであつて、本件法案につき尽力を依頼する趣旨を含むとみるべきではないこと、以上の理由をあげて請託はなかつたというのである。

しかしながら、(1)については、たしかに、前記の被告人関谷を囲む懇談会、被告人多田、同多嶋の被告人関谷方事務室の訪問、料亭「新富田」での会合、大タク協第四回定時総会は、いずれも、直接には本件石油ガス税法案に関連して開かれたものではなく、他に趣旨、目的の存したことが認められるものであつて、その一つ一つをとつてみれば、依頼の趣旨が必ずしも明白ではないものもなくはないが、従前の経緯等を総合して判断すれば、優に原判示のような依頼の趣旨を肯認しうるものというべきである。(2)については、たしかに、被告人関谷および寿原は、当初から自らの意思で課税反対を唱えていたものであつて、被告人多田、同多嶋らの前記依頼によつて、課税反対の意思をいだくに至つたものでないことは所論のとおりであるが、被告人多田、同多嶋らのした前記のような依頼の内容および状況、同被告人らがLPガス課税に直接重大な利害の関係を有するタクシー業者らであつたことなどに徴すると、同被告人らのした前記依頼が、被告人関谷および寿原の政策に同調し、そのための政治活動を支援するにとどまるものでないことは明らかというべきである。(3)については、前記料亭「新富田」における会話の内容は、被告人多嶋の検面調書によつて認めうるものであるところ、たしかに、同被告人の検察官に対する供述は、二年半を経過した時点におけるものであること、同被告人はその約二〇日前にも同じ「新富田」で同じ顔ぶれで会食していることなど、記憶の忘失、混同を疑わせる事情の存することは否定できないが、同被告人は、これら会食の行われた日時、場所、出席者の顔ぶれ等の記憶を、日記の記載によつて想起しているものであつて、同被告人の日記には、前記認定の料亭「新富田」での会食について、「自民党内に再考の空気が出てきた」という、課税反対の立場にある同被告人にとつて重要な情報を得た旨の記載があること、その二〇日前の会食は「LPガス課税減額確保及びガソリン軽油対策全国ハイタク業者大会」終了後におけるものであつて、同大会において被告人関谷は「減額に努力したい」との趣旨の発言をしているにすぎないこと、前記認定の「新富田」における会食は、全乗連副会長会議に出席した機会に行われたものであることなど、前後の事情などをも総合して判断すると、被告人多嶋の前記検面調書における供述は、信用しうるものというべきである。(4)については、なるほど、大タク協第四回定時総会での被告人関谷および寿原の原判示発言内容は、業界全般の諸問題にふれる中で、その一つの話題として話したものであり、その場所柄をも考慮すると、自己の政治活動を過大に評価宣伝したり、また、一段と他の国会議員に対する配慮を含んだ内容のものになり勝ちであることは所論のとおりであろうが、多数の業者の面前での責任ある立場にある者の発言であり、その内容が業者の重大な関心を寄せている事項であることのほか、被告人関谷および寿原と大タク協との従前の関係ないし課税反対運動の経緯に徴すると、今後の活動を具体的に確約する趣旨を含まない、単なるリツプサービスにとどまるものであるとは到底解しがたいものである。また、被告人関谷が、前記同被告人を囲む懇談会、料亭「新富田」での会食、大タク協第四回定時総会の各席上において、LPG課税問題とともに運賃改訂問題についても発言していることは原判決も認定しているとおりであり、LPG課税に反対することと運賃の値上の認可を求めることとは、当時の情勢として両立しえなかつたことは所論のとおりであるが、運賃の値上げが早急に認可される見込みのなかつたことは過去の実績に徴し明らかであつた反面、本件石油ガス税法案については、その国会における審議状況に徴しても、廃案ないしは内容の修正を期待しうる状況にあつたと認められるから、運賃値上申請を示唆したからといつて、直ちに課税を容認することにはならないと考えられ、被告人関谷が運賃値上問題に言及したことは、同被告人の原判示発言を、課税問題につき尽力する旨の見解表明と解することのさまたげとはならないと解すべきである。(5)については、たしかに、「よろしくお願いします」などという原判示の言辞は、通常は、所論のような意味をもつものであろうが、前記認定の各機会における言辞が、本件法案につき尽力を依頼する趣旨を含むものと解すべきことは、前に述べたとおりであつて、所論にかんがみ検討しても、右判断は相当とすべきものと思われる。

所論は、更に、原判示金員供与当日における請託について、(1)原判決が認定した被告人関谷および寿原の当日の発言内容は、坪井準二の検面調書を根拠にするものであるところ、同人の右供述は、約二年半経過したのちに記憶を想い起こしたとしての印象を述べているにとどまり、右発言の存在を認定する証拠としては余りにも根拠が薄弱であるうえ、同人の検面調書における供述中には、他の証拠からみて明らかに誤りと指摘できる部分が多数存在することなどからしても、信用性が薄いものと評価すべきであつて、これをもつて被告人関谷および寿原の発言内容を認定した原判決は誤つていること、(2)被告人関谷方および寿原方のいずれの場合も、在室時間は二〇分程度であつて、本件当日の会話として証拠上確定しうるものは、時候の挨拶や献金に伴う言上のほかは、雑談中に、寿原については、個人タクシーの新規免許問題に伴う運輸官僚に対する非難の話、被告人関谷については、六甲セミナーの話が出たと認められる以上にこれを確定しえないところであつて、原判決が前記(1)のような合理的な疑いがあるのに、LPG課税問題に話が及んだと推認したのは明らかに誤つていること、(3)仮に、LPG課税問題に話が及んだとしても、雑談中に出た程度であるのに、被告人関谷および寿原の話の内容をLPG課税問題に限定し、他の話はすべて捨象し、大タク協関係者の辞去するにあたつての挨拶と右話とを直結させて、請託があつたと認定したのは誤りであること、以上の理由をあげて請託はなかつたというのである。

しかしながら、(1)については、たしかに、坪井準二の検面調書は、「……の印象が残つています」との供述記載になつているものであつて、必ずしも明確に述べられているものではないが、右供述記載部分は、前記のとおり、高士良治、沢春蔵の検面調書によつて一部裏付けられているうえ、当時の法案審議状況にも合致するものであつて、これを措信すべきことは前に述べたとおりである。(2)については、右に述べたように、坪井準二の検面調書における供述記載が措信しうる以上、原判示のような被告人関谷および寿原の発言内容は、優に肯認しうるところであつて、在室時間中は雑談に終始したとの所論は、採用することができない。(3)については、原判示金員供与当日における請託の事実は、前記説示のような理由でこれを肯認しうるのであつて、原判決も、所論のように、被告人関谷および寿原の本件法案に関する話と、被告人多田ら大タク協関係者の辞去するにあたつての挨拶とを直結してこれを認定したのではないことは明らかである。

所論は、また、原判決が認定した被告人関谷および寿原の尽力行為は、LPガスに対する課税の不当性を主張し、自己の政治的見解を表明したにすぎないものであつて、かかる議員間における意見の表明は、勧説行為にはあたらず、また、同人らのした意見の表明は、大タク協の要請、依頼にもとづくものではないことなどの理由をあげて、尽力行為は存在していない、というのである。

しかしながら、原判決が挙示する関係証拠によると、被告人関谷および寿原において、原判示のとおり、同僚議員に働きかけている事実は、優に肯認しうるところである。もつとも、同人らのした右働きかけは、大タク協のした要請、依頼にもとづくものというよりも、むしろ同人らの政治的見解を同僚議員に表明したとみうるものであるが、現に被告人多田、同多嶋らにおいて、尽力を依頼し、被告人関谷および寿原において、これに沿う行動をとつている以上、それが被告人多田、同多嶋らの期待した勧説行為にあたるものであることはいうまでもなく、右尽力行為が被告人関谷および寿原の政治的見解の表明であつても、この点に関し請託のなされた事実を否定する理由となり得ないことはもちろんである。

その他、所論にかんがみ更に検討しても、本件につき請託の事実を認定した原判決には、事実認定上の誤りはない、と考える。

4  賄賂性に関する事実認定について

論旨は、要するに、原判示の各金員は、賄賂ではなく、政治献金として供与されたものであるのに、これを賄賂と認定した原判決には、事実認定上の誤りがある、というのである。

そこで、案ずるに、原判決書によると、原判決は、被告人関谷および寿原に供与された同判示の各一〇〇万円は、右両名が、衆議院議員として、本件石油ガス税法案について、かねてよりその廃案或いは税率の軽減、課税実施時期の延期等ハイヤータクシー業者にとつて有利な結果になるように尽力してくれていること、ならびに今後も同様の尽力を受けたいことに対する右両名の職務に関する謝礼の趣旨で供与された、と認定しているところ、原判決挙示の証拠によれば、右の事実は優に肯認しうるところである。すなわち、関係証拠によると、原判示の金員は、本件石油ガス税法案が衆議院に提出され、同院大蔵委員会で審査中の昭和四〇年八月一〇日、衆議院議員であつた被告人関谷および寿原の両名に対し、同法案の可決成立に反対していたハイヤータクシー業者の団体である大タク協名義で供与されたものであつて、同法案の成否および内容に重大な利害関係を有し、同法案の廃案ないしは税率の軽減、課税実施時期の延期等、同法案につき具体的な要望を重ねていた業者団体から、現に同法案が国会に係属中に、同法案の審議に関し、質疑、討論、修正案の提出、表決等の権限を有する国会議員に金員が供与されたことじたいにおいて、原判示の趣旨が強く推認されるものであること、前項に説示したとおり、被告人多田、同多嶋らは原判示金員供与当日以前から、被告人関谷および寿原に対し、原判示の趣旨を依頼し、原判示金員供与当日においても、重ねて同旨の依頼がなされたと認められること、被告人関谷および寿原は、衆議院運輸委員会の委員であつて、本件法案の同院大蔵委員会における審査には直接関与する権限はなかつたが、ともに同法案につき多大の関心を示し、昭和四一年度税制改正要綱案にLPG課税問題がとり上げられた段階から、課税に対し反対を唱え、大タク協内部においては、課税九か月延期の自民党の党議決定をみたについては、両名の尽力が大きかつた旨の評価を受けており、前記のとおり、本件法案が衆議院に提出された後においても、被告人関谷および寿原は、被告人多田、同多嶋らに対し、尽力方を表明し、被告人多田、同多嶋らにおいて、尽力方を依頼するなどの関係が続いており、とりわけ、被告人関谷および寿原は、昭和四〇年六月二八日に開かれた大タク協の総会に出席し、多数の会員の面前において、同法案の否決、廃案等に尽力する旨の発言をするなど、同法案に深いかかわり合いを持つていたこと、同法案は、第四八回国会開会中の同年二月一一日、内閣から衆議院に提出され、同月二三日に同院大蔵委員会に付託されたが、同国会においては継続審査となり、同年七月二二日に開会し同年八月一一日に閉会した第四九回国会においても継続審査となり、第五〇回国会でいつたん廃案となつているが、その間、大タク協が主催するものではなかつたとはいえ、同年三月二六日には、全乗連主催の全乗連第一一回政策審議会、免許制対策特別委員会、LPガス課税反対特別委員会の合同会議が開かれ、課税額をトン当り六、〇〇〇円に減額する旨の要望を与野党議員にする旨を決議したり、同年四月八日には、LPガス課税減額確保およびガソリン軽油対策全国ハイタク業者大会が開催されたりしているほか、関係官庁、国会議員、政党に対する陳情がくり返されており、とりわけ、原判示金員供与の直前にあたる同年八月上旬には、第四九回国会での同法案の成立を懸念した全乗連の指示で、国会議員に対する課税反対の陳情が行われており、大タク協からも、前記のとおり、LPG正副委員長らが上京してこれに参加しているなど、本件法案の審議をめぐる国会周辺の情勢はけつして平穏ではなく、これら本件法案の審議状況、全乗連の行つた陳情内容、その模様等は、被告人関谷および寿原においても、これを知悉し留意していたものと認められること、他面、大タク協では、課税九か月延期の党議決定後の昭和三九年の年末、右党議決定を従前の課税反対運動の一応の成果であると評価し、かねて懸案の自民党に対する一億円の政党献金を実行することに決めるとともに、九か月延期の決定をみたのは、被告人関谷および寿原ら関係国会議員の尽力のたまものであるとして、同人らを含む一一名の国会議員に金員を贈ることとし、被告人多田、同多嶋らが上京し金員を供与しようとしたが、そのことを国会で問題にする、という趣旨の情報が入つたため、献金を中止するということがあつたこと、その後、昭和四〇年六月一〇日の参議院議員の選挙時に、自民党に対し一億円、社会党に対し六〇〇万円、民社党に対し四〇〇万円の政党献金を実行したが、同月二一日の同好会(大タク協内における大手業者の代表者によつて構成されている親睦団体ないしその会合をいう)の席上において、いわゆる三木派献金を協議決定した際、被告人多田から「お預けになつている個々の先生方へのお礼もほつておくわけにはいかん。三〇〇万円出すとすればまた金集めせないかん」との趣旨の発言がなされ、次いで、同月二八日の臨時理事会の席上、特別負担金の追加拠出が決定される過程で、被告人多田から、追加拠出を必要とする理由として「政党献金分の残として六〇〇万円残つているが、実際には未収分があり、また、別途に三〇〇万円献金したので、個人の先生方にLPガス課税反対の尽力に対するお礼として贈る金に不足をきたす」との趣旨説明がなされ、これに対し出席理事の中から「個人先生の分も今更放棄できないので、不足分を集めるべきである」、「出すものは出して、頼むものは頼むようにしたい」との趣旨の発言がなされるなど、一時中止した前記年末献金を続行する旨の協議がなされていること、本件金員供与の計画は、その後の同年七月二〇日の選衡委員会において、盆の時期が近付いているので、日頃お世話になつている先生方に金員を供与しよう、との趣旨で発議され、同日の理事会、同年八月五日の同好会、同月九日の理事会での各協議を経たうえ、同月一〇日に実行されているが、右協議の過程において上記のような同法案の審議状況が報告され、検討されていること、被供与者の人選と金額は、年末の際の案を参考にして決定されており、協議結果によると、供与の相手方である議員は、被告人関谷および寿原を含む一一名であつて、その内訳は、被告人関谷、寿原および徳安議員に対し各一〇〇万円、原議員に対して五〇万円、原田、小川および田辺議員に対し各三〇万円、坊、村上、古川、大蔵議員に対し各二〇万円となつており、一〇〇万円口の三議員および田辺議員を除く七人の議員は、大タク協とは平素格別の関係はなく、ことに坊、原田両議員は、本件法案を支持していた衆議院大蔵委員会委員であつたなど、その人選にあたり、大タク協や大タク協理事との親疎、昵懇の程度のみを考慮したとはいいがたい点があること、原判示金員供与当日には、小川議員を除く一〇名に対し金員を供与すべく、各金封を準備したが、寿原および被告人関谷の各事務室を訪問して金員を供与したのち、原議員方事務室を訪れた際、同議員に金封の受領を拒否され、注意を受けたりなどしたため、じ余の金員供与を中止して藍亭に引き揚げたことなどは前に原健問題に関して述べたとおりであること、寿原に供与された一〇〇万円は、同人の後援会である寿政会に入金されておらず、同人が個人的に費消したものと認められ、寿政会名義の右金員の領収書は、金額、日付、宛名欄等白地のまま送付されてきたものを、大タク協において適宜記入して作成したものであること、被告人関谷に供与された一〇〇万円は、前記安永問題に関し述べたとおり、同年八月一二日ころ、安永輝彦を介して大タク協に預けられ、翌四一年一月一八日、安永からの要望で同被告人の後援会である松山会東京本部の預金口座に振込送金されており、同日付の松山会の領収書が発行されているが、原判示金員授受当時には、松山会にも、また、同被告人の別の後援会である二十日会にも入金された事実はないこと、前記のとおり、大タク協においては、課税九か月延期の党議決定後は、自民党絶対多数の当時の政治情勢の下では、党議どおりの課税がなされるものとして、これに対処するために、運賃値上申請の準備にとりかかつており、このことが、LPG課税を大衆課税であるとして反対する社会党、民社党の同調をとりつけ、あくまでも課税の取りやめないし軽減措置を求める立場をとる全乗連の運動方針と対立することとなつたが、運賃値上申請は早急に認可される見込があつたわけではなく、全乗連の指示ないし要請もあつて、全乗連の課税反対運動には参画しており、その後の本件法案の審議状況などからして、廃案ないし有利な修正に期待を寄せ、本件謀議途中の八月二日には、LPG正副委員長ほか五名を上京させ、全乗連の課税反対運動に同調して、衆議院の大蔵委員に陳情するなどしているほか、同月四日には、被告人多田が上京して被告人関谷を訪れ、法案の審議状況、今後の見込などを聞いたりしており、これらの状況からすると、原判示金員供与当時大タク協において、LPG課税問題が依然として重要課題であつたこと、大要して以上の事実が認められ、これらの事実によると、原判示金員供与の趣旨が、LPG課税問題と関係がないとは到底みることはできず、被告人関谷および寿原の平素の好誼に対する謝礼の趣旨の含まれていることは否定できないとしても、その主要なものは、原判示のような、本件石油ガス税法案に関する右両名の従前の尽力および今後の尽力に対する謝礼の趣旨のものであることは明らかであつて、原判示金員の賄賂性は十分肯認することができ、所論のような後援会に対する政治献金ではない、というべきである。

所論は、極めて多岐にわたつて、原判示金員の賄賂性を認めた原判断を論難している。そこで、以下においては、この点の所論を要約整理し、順次判断を示すこととする。

(一) 政治献金であつて賄賂ではない、との主張について

所論は、政治団体や政治家個人に政治献金をすることは、元来、国民に認められた政治的活動の自由の領域に属し、憲法上保障されている自由権に含まれると解することができるところ、政治献金にはなんらかの政治的目的が含まれているという現実が否定できない以上、政治献金ではなく賄賂といいうるためには、職務行為との対価性が極めて顕著の場合、具体的には、(1)関係する職務行為が極めて具体的、個別的であること、(2)献金者の政治的要求が違法なものであること、(3)献金された金額が常識的に政治献金として首肯しうる相当な額を著しく超過する場合であることなどの要件の充足を必要とすると解すべきであつて、上記の要件を充足しない原判示金員は賄賂ではない、というのである。

そこで、案ずるに、政治献金とは、もともとは、政治家の政治的手腕やその人格識見に信頼を寄せる者が、自己の政治的理念や主張の実現をその人に託する意図で拠出するものであつて、このような献金者の利害に関係のない、いわば浄財的な資金の贈与が賄賂にあたらないことはもちろんであるが、政治献金がなんらかのかたちでの利益の見返りを期待してなされるという現状にかんがみると、献金者の利益を目的とする場合でも、献金者の利益にかなう政治活動を一般的に期待してなされたと認められる限り、その資金の贈与は、政治家が公務員として有する職務権限の行使に関する行為と対価関係に立たないものとして、賄賂性は否定されることになると思われる。しかしながら、上記の場合とは異なり、資金の贈与が、政治家が公務員として有する職務権限の行使に関する行為と対価関係に立つと認められる場合、換言すれば、職務権限の行使に関して具体的な利益を期待する趣旨のものと認められる場合においては、上記の政治献金の本来の性格、贈収賄罪の立法趣旨ないし保護法益に照らし、その資金の賄賂性は肯定されることになると解すべきである。これを本件についてみると、後記のとおり、被告人関谷および寿原は、衆議院議員として、当時、同院大蔵委員会で審査中であつた本件石油ガス税法案について、同法案の同院本会議における審議に関し、質疑、討論、修正案の提出、表決等をなす職務権限を有していたほか、右職務権限に密接に関連する行為として、同法案の同院本会議における審議および大蔵委員会における審査に関する右のような権限の行使につき同僚議員を勧誘説得して影響を及ぼしうべき立場にあつたと認められるところ、前記説示のとおり、被告人多田、同多嶋らは、被告人関谷および寿原に対し、本件石油ガス税法案について、その廃案ないし税率の軽減、課税実施時期の延期等その内容の有利な修正に向け国会議員としての右のような権限行使に関する行為を通じて尽力するよう依頼し、原判示金員を供与しているのであるから、上記の浄財的な資金の贈与にあたらないのはもとより、ただ単に献金者の利益にかなう政治的活動を一般的に期待してなされたと認められる場合でもなく、被告人関谷および寿原の有した上記職務権限の行使に関する行為との対価関係は優に肯認することができ、これを政治献金という所論は採用することができない。

(二) 公然と実行されている、との主張について

所論は、本件は、大タク協の機関決定を経理、資金関係、帳簿上の処理も明確であり、また、その実行も公然となされており、その経過を通覧しても、なんのやましさも窺い知ることができず、これらの事情は、原判示金員の賄賂性を否定する重要な事実にあたる、というのである。

なるほど、原判示金員供与の計画は、昭和四〇年七月二〇日の理事会の前に開かれた選衡委員会で原案が検討されたうえで、同日の大タク協第五二回定例理事会で審議され、さらに同年八月九日の第五三回定例理事会で審議決定されたものであつて、その資金の流れは大タク協の帳簿上明白になされており、その実行に際しても、被告人関谷、寿原の事務室を昼間に多人数で訪問してなされているなどのことは所論のとおりである。しかしながら、大タク協の理事会の審議を経たり、また、同協会の帳簿に記載されているといつても、それは一般に公表されるわけではなく、大タク協内部の一部特定の者が知りえたにすぎないものであり、また、議員の事務室も、通常は、議員のほか秘書、事務員等、特定の者が在室するだけで、自由に人の出入りできる場所ではないから、所論の事情をもつて、原判示金員の供与が公然と行われたといいうるか疑問であり、かかる事情のもとに金員の供与が行われたからといつて、直ちにその賄賂性は失われるものではないと解すべきである。もつとも、賄賂の供与が所論指摘の事情のもとに行われたという点は、賄賂性の認識に影響を与える場合もあるといえると思われるが、本件の場合には、例えば、所論指摘の同年七月二〇日の理事会の議事録中、本件供与金員の資金にあてる特別負担金拠出に関する部分には、「先般のLPG関係の特別負担金について、その後の処理分として状況変化により不足を生じたため、諸般の情勢から判断して再度不足分を特別負担金として拠出願うことに決定をみた」旨、抽象的な記載があるにすぎないなど、ある種の配慮をした跡が窺われ、また、寿原に供与した金員の領収書については、送付されてきた金額、日付など白地の寿政会の領収書用紙に、大タク協において適宜記入して領収書を作成している事実が認められるのであつて、これらの事実は、むしろ賄賂性の認識を基礎づけるものというべく、所論のように賄賂性を否定するに価するものとは考えられない。

(三) 後援会に対する献金である、との主張について

所論は、原判示の金員は、被告人関谷の後援会である松山会、寿原の後援会である寿政会に寄付されたものであるのに、これを被告人関谷および寿原各個人に対する金員の供与と認定した原判決には、事実認定上の誤りがあると主張し、次の理由をあげている。しかしながら、所論は理由がなく、採用しがたいものである。すなわち、

(1) この点に関する被告人多田、多嶋の各原審供述、原審証人沢春蔵、坪井準二、口羽玉人、高士良治、井上奨、辻井初男、市田実二郎の各原審証言の内容が一致して所論に沿うものであり、とりわけ、原判決が信用性が高いと評価した口羽の原審証言の内容が所論に沿つたものであるとの点についてみるに、たしかに、上記の者の供述ないし証言内容は、所論に沿うものであるが、これらの供述ないし証言は、原判示金員供与の趣旨を争う、原審における被告人または共犯者ないしこれらの者の関係者の供述であつて、一般にその信用性が高いとは考えられないうえ、後記のような、原判示金員供与の謀議がなされた理事会、同好会における発言内容、金員供与時の状況などの客観的事実に沿わず、また、被告人多嶋らの、原判示の金員は課税問題の謝礼として供与した旨の検面調書の記載とも矛盾するものであつて、たやすく措信しがたいというべきであつて、いずれも所論の根拠とはなりがたいものである。

(2) 本件献金に関する大タク協の経理関係書類には、すべて後援会会費として処理されているとの点についてみるに、たしかに、大タク協の銀行勘定帳、振替伝票、特別預り金勘定帳などの所論指摘部分には、後援会会費である旨の記載がなされていることは所論のとおりであるが、それが実態をあらわすものでないことは、後記のとおり、被告人多嶋が検察官の面前で自認しているところであり、また、前記のような、大タク協において寿政会の領収書を適宜作成していることによつても窺われるのであつて、この事実も、所論の根拠とはなしがたいというべきである。

(3) 本件献金のなされた金封には「後援会会費」と明記されていたとの点についてみると、たしかに、所論に沿う証拠が存在する反面、「御中元」と記載されていた旨の証拠も存在するのであつて、原判決がそのいずれとも確定しがたいとしたことは首肯できないでもないが、後者の証拠、とくに井上奨、辻井初男の検面調書における供述は、その供述内容が具体的で説得性があるうえ、同人らは、大タク協の事務担当者として、本件当日被告人多田らに随行し、現実に本件金封作成の作業に従事したものであること、本件当日金員の供与を予定していた一一名の議員の中には、その後援会と大タク協とが従来無縁であつたものが含まれており、これらの者の金封に「後援会会費」と記載するのは不自然であること、本件金員の供与は、中元の時期にからんで発議されたものであることなどの事情を総合すると、井上、辻井の検面調書の供述記載の措信すべきものと考えられ、当審事実調の結果を参酌しても、金封の表面に「後援会会費」と明記されていたものとは認めがたいので、右の点も又、所論の根拠となしえないものである。

(4) 本件各献金に対しては、各後援会から領収書が大タク協宛に送付されているとの点についてみると、たしかに、そのような形式の整えられていることは所論のとおりであるが、被告人関谷に供与された金員については、前記のとおり、安永輝彦によつていつたん大タク協に預けられ、翌年一月一八日に、安永の要望で松山会東京本部に送金したものの領収書であり、寿原に供与された金員については、前記のとおり、送付を受けた当時には、金額、日付欄等が白地のものであつて、いずれも、所論の根拠とするには十分のものではないものである。

(5) 本件献金と同時に献金することが決定された他の献金も後援会に対してなされており、また、各後援会の領収書が存するとの点についてみるに、たしかに、田辺議員、小川議員、徳安議員に対する献金分について所論に沿う領収書が存在しているが、これらの献金は、いわゆる原健問題が発生した後に行われたものであつて、前記のような原叱責の内容などに徴すると、とくに慎重な配慮がなされたものと窺われ、被告人関谷および寿原分とは同列に論じえないものであり、また、原議員関係については、当日供与されたものとは認めがたいこと前記のとおりであるから、いずれも、所論の根拠とするには足りないものである。

(6) 本件各献金は、被告人多田が従来、被告人関谷および寿原の各後援会に対してなしてきた献金と同様の方法によつて行われており、本件献金に際して従前ととくに異つた点は全く認められないとの点についてみるに、たしかに、被告人多田は、原判示金員供与当日以前においても、被告人関谷および寿原に対し政治献金を行つており、ことに被告人関谷に対しては、本件当日の直前にあたる八月四日に同被告人の事務室で現金五〇万円を供与しており、これが同被告人の後援会である二十日会に対する政治献金として扱われていることは所論のとおりであるが、被告人多田が従前にした政治献金は、同被告人が代表者をしている相互タクシー株式会社からのものであり、かつ、過去の実績に沿つているのに対し、本件の金員は、従前選挙時以外には政治献金をした実績のない大タク協からのものであるとの点において、根本的に性格が異なるというべきであるから、その献金の方法のみを対比して、その類似性から後援会献金であるという所論は、これを採用することができないというべきである。

(7) 本件各献金の実施方法は、大タク協や相互タクシーあるいは他の業者等が本件以外に行つてきた献金の方法に比してなんら特異な点は認められないとの点についてみるに、所論指摘の睦政会に対する献金、三木派献金、中村議員関係の献金、原議員関係の献金は、いずれも、その趣旨、目的等が本件とは異なつており、金員授受の外形的状況のみを比較して、本件との類似性をいうのは適切でなく、前同様、これを採用することができないものである。

(8) 大タク協関係者は、政治家個人に対し献金することは避け、必ず後援会に対して献金するよう警察より指導を受けた経験を有するとの点についてみるに、たしかに、市田実二郎、真野平八郎の原審証言中には、所論に沿う部分があるが、いわゆる一億円献金を計画した際に相談したという当時の大阪府警察本部捜査二課長太田寿郎の原審証言によると、個人的見解と断つたうえで相談に応じたが、個々の具体的なケースについての質問はなく、一般的に贈賄罪の規定、政資法の説明をしたうえ、同法に則つていても、授受の趣旨、時期、相手方などによつて、ケースバイケースで贈賄罪が成立する旨を話したのみで、後援会にあてて献金をしろとか領収書を貰えとかの指導はしていないことが認められるのであつて、所論は、この点においてすでに失当というべきである。

(9) 大タク協やその会員である相互タクシー、日本交通等は、本件までに数多くの政治献金を経験しているが、すべて政党または政治家の後援会に対してなしており、政治家個人に対して献金した事例は皆無であり、また、その献金に対しては必ず後援会の領収書を徴しているとの点についてみるに、たしかに、所論に沿う証拠は存在しているが、その多くは、選挙時の献金、後援会費であつて、贈賄罪にあたらない政治献金としての性格の明らかなものであり、本件の場合とは趣旨において異なるものであるから、本件の前例とはなりがたいものと考える。

(10) 本件献金を協議した理事会等において、被告人多田、同多嶋らが「個々の先生」、「国会議員の先生」、「個人の献金」、「代議士先生の謝礼」などの言葉を用いたのは、各代議士個々の後援会に対する献金の趣旨で使われたか、各代議士の後援会を指す場合の省略語として使われたと理解するのが常識的で自然であると主張し、右言葉が被告人関谷および寿原ら個人を名指しにしているとした原判断を論難する点についてみるに、関係証拠によつて認められる原判示金員の供与が発議されるに至つた前記のような経緯、協議の状況、とりわけ、それが、単なる政治資金の拠出を協議したものではなく、本件石油ガス税法案に関する謝礼の要否、内容等が協議されたものであることに徴すると、右の言葉は、その用いられた場面に即し、文字どおり、被告人関谷および寿原ら個人を指すものと理解するのが相当であつて、所論のように後援会を意味するものでも、その省略語でもないというべきであり、原判決の判断に誤りはない、と思われる。

(11) 前記の協議に際し、「お礼」とか「謝礼」という言葉を用いておらず、上中メモや佐藤日誌のその旨の記載は、簡略化した場合の表現ミスと理解すべきであり、仮に、右の言葉が用いられたとしても、お礼のために後援会に政治献金することはありうると主張し、右の言葉が用いられていることをもつて、個人に対する賄賂と認定した原判断を論難する点についてみるに、用語の意味、性質からしても、上中メモ、佐藤日誌の記載が、所論のように表現ミスと解しがたいばかりか、前記のような金員供与が発議された経緯、被告人多嶋ら関係者の検面調書の記載によると、所論の言葉が用いられたことは優に肯認でき、かかる用語の使用じたい金員供与の趣旨が後援会に対する政治献金でないことを示すものと考えられる。

(12) 原判示金員の授受に際し、被告人多田が、これはまことに些少ですが、お納め下さいなどと述べて、被告人関谷および寿原に直接手交したことをもつて、個人に対する賄賂の供与と認定したとして原判断を論難する点についてみるに、たしかに、金員授受時の状況のみをとつてみれば、所論のような被告人関谷および寿原両議員個人に対してなされたものでないという理解も可能であろうか、金員供与に至る経緯等を総合して判断すると、原判示金員授受時の状況は、原判示の趣旨を窺わせるものと認めることができ、これを一つの情況事実として原判示の趣旨を認定した原判断には誤りは認められない。

(13) 原判決は、同時に計画された一一名の国会議員の人選を問題にし、それを全体的に考察して、本件法案に関する賄賂と認定しているが、田辺、小川、原、徳安の各議員分は、個人に対してではなく、後援会に政治献金されており、同人らに対する献金実行の経緯を認定論議せずに、被告人関谷および寿原分のみを個人に対する賄賂と認定したといつて原判断を論議する点についてみるに、前記のように、所論指摘の各議員分は、いわゆる原叱責問題があつてのちに実行されているのであるから、その実行の経緯、状況等は、直ちに本件事実認定に影響するわけではなく、この点に論及しなかつた原判断には誤りはない。

(14) 個人に対する贈与であることを認める被告人多嶋、沢春蔵、高士良治、井上奨らの検察官に対する供述は、厳しい取調に対する迎合、誤つた誘導の結果なされたものであり、かつ、客観的事実にも合致しないとしてその信用性を争う点についてみるに、たしかに、同人らの検面調書における供述記載の中には、相互に矛盾する部分や客観的事実に合致しない部分のあることは認められるが、原判示金員供与の趣旨に関する部分は、大筋において合致しており、また、前記認定の客観的状況に沿うものであつて、所論のような取調官に対する迎合、取調官の誤導の結果なされた供述とは認めがたいものであつて、その信用性を認めた原判断に誤りがあるとは思われない。

(15) 原判決が同判示各金員受領後の状況、とりわけ、寿原については、後援会に入金した形跡はなく自己の用途に費消したと認められること、被告人関谷については、その後援会である二十日会に入金したり届け出たりせず、安永を通じて大タク協に返したうえ、のちに送金させていることなどをあげて、後援会に対する献金と認めなかつたのを論難する点についてみるに、まず、被告人関谷につき所論が主張する、松山会関西支部に入金するということで当日大阪に返送金されたとの事実の認めがたいことは、前項において、安永問題に関して説示したとおりであるから、所論は前提を欠くこととなり、次に、寿原については、寿政会名義の領収書が、金額、日付、宛名など空白のまま大タク協に送付されてきたものであることは前に述べたとおりであり、関係証拠を検討しても、原判示金員は寿政会に入金されていないという原判決の事実認定に誤りはなく、これが寿政会の政治活動に使用されたという所論主張の事実は認められないのであるから、後援会に対する献金とみる余地のないものといわざるをえない。

(16) 原判示各金員につき、被告人関谷および寿原の後援会から領収書を徴したのは、違法を糊塗するためであるとの被告人多嶋の検面調書の信用性を争う点についてみるに、同被告人は、検面調書において、原判示の金員を、被告人関谷および寿原に原判示の趣旨で供与した事実を認めており、この供述部分は、前に認定した金員供与の経緯などに徴し措信しうるものと考えられるから、「後援会の領収書を貰つて形の上で整えようと考えた」という同被告人の供述は、なんら不自然ではなく、このような取り扱いは、同被告人の指示がなくても、会計担当者において適宜行いうることと認められるから、同被告人が特別の指示をしていないことを理由に右供述部分の信用性を争う所論は、採用することができない。

(四) 本件石油ガス税法案の国会審議との対価性がない、との主張について

所論は、原判示の金員は、本件石油ガス税法案の国会審議とは関係なく供与されたものであるのに、同法案との関連性を認め、課税問題の対価として供与されたとした原判決には、事実認定上の誤りがあると主張し、次の理由をあげている。しかしながら、所論は理由がなく、採用しがたいものである。すなわち、

(1) 同時に決定された一一名の議員の人選と供与金額を検討し右法案との関連性を肯認しうるとした原判断を論難する点についてみるに、所論にかんがみ関係証拠を検討しても、原判決が判示第六の三の4において「本件被供与者の人選と金額の決定」と題する部分において説示する内容は、すべて正当であつてこれを肯認することができ、所論の誤りがあるものとは認められない。所論は、右の一一名の議員は、いずれも、大タク協ないし会員会社が、平素から支持、後援し、または関係のあつた議員であると主張し、原判示金員の政治献金性を論証しようとするのであるが、すくなくとも、一一名のうち原田、坊、古川、大倉、村上の各議員については、大タク協から中元時に政治献金をするほどの間柄にあつたとは到底認められず、ことに大蔵委員である原田、坊両議員が選ばれたのは、原判示のような事情によるものと認めるのが相当であつて、右両議員が選ばれていることからしても、本件法案との関連性は認めうるものというべきである。

(2) 本件法案の審議につき職務権限がなく、かつ、党議に拘束され、事実上も党議違反にあたる原判示のような尽力行為を期待しえなかつた被告人関谷および寿原に対し、その対価を支払うことはありえないこと、被告人関谷および寿原には、尽力行為と目すべき行為をした事実はなく、また、被告人多田、同多嶋には尽力行為の認識がないことなどの理由をあげて、本件法案との関連性を否定する点についてみるに、たしかに、被告人関谷および寿原には、本件法案の大蔵委員会における審査につき直接の職務権限のなかつたこと、本会議における審議に際しても、同法案の否決、修正に尽力するような、党議に違反する行動をとりがたかつたことは所論のとおりである。しかしながら、被告人関谷および寿原は、本件法案提出後においても、被告人多田、同多嶋ら大タク協関係者に対し、むしろ自らすすんで原判示のような尽力をする旨の発言をし、現に同僚議員に対しその旨の働きかけをしていることは前にみたとおりであるうえ、被告人多田、同多嶋らにおいても、被告人関谷および寿原の尽力に期待を寄せていたことは、被告人多嶋ら関係者の検面調書の記載によつて優に肯認しうるところであつて、社会党、民社党が本件法案に反対していたなど、本件法案の審議状況などをも併せ考えると、本件においては、原判示のような尽力行為は優に期待できたものと認めるべきである。

(3) 大タク協は、全乗連の一構成員であつて、認可台数、LPG車の台数は東京に比較してすくなく、本件法案により被る不利益はとくに大きかつたとはいえないうえ、課税反対運動は、全乗連が中心となつて行つており、大タク協はその傘下の一団体として、全乗連の指示によつて行動したのみであるなど、大タク協のみが本件法案阻止の対価をひとり負担することはありえない、といつて対価性を否定する所論についてみるに、たしかに、東京と比較して、大阪のLPG車の台数がすくなかつたこと、課税反対運動は、全乗連が中心となつて行つており、大タク協はその指示によつて行動したにすぎないことは所論のとおりである。しかしながら、関係証拠によると、ハイヤータクシー業者は、今までLPガスか無税で、これを自動車燃料として使用すると、ガソリンよりも二分の一程度の燃料費ですむことから、タクシー一台につき約七、八万円もの費用をかけて、ガソリン車からLPG車に改造してきたこと、しかるに、本件法案の施行により、ハイヤータクシー業者は、LPG車一台につき年間約二〇万円程度の税金を負担することになり、課税額をも含めると、燃料費は倍近くかかることになること、これを、昭和三九年一一月三〇日現在の大タク協会員会社のLPG車の台数六六九〇台をもとにして計算すると、大タク協の会員会社全体では年間約一三億三、八〇〇万円という巨額な負担増になることが認められ、これらの事実によると、タクシー業者が、LPG課税に重大な関心を寄せていたことは明らかであつて、課税が事業経営に及ぼす影響の大きかつたことなどから、課税問題を業界死活の問題と受けとめていたという関係者の検面調書の記載は、十分に信用できると思われるのであつて、大タク協じたいにとつても、課税問題には多大の利害関係が存したのであるから、大タク協において、本件法案阻止の対価を負担する実質的理由は十分に存したものと認めるべきである。

(4) 課税九か月延期の党議決定後における大タク協の運動の中心は、運賃値上申請の準備であつて、課税問題は当面の重要課題ではなかつたといつて課税問題との関連性を否定する点についてみるに、たしかに、原審ならびに当審で取り調べた証拠によると、大タク協においては、昭和三九年の暮に課税九か月延期の自民党の党議決定をみるや、自民党絶対多数の当時の政治情勢から、党議どおりの課税が実施されることは避けがたいと考え、右課税の実施に対処し、むしろこの際、課税額を上廻る運賃値上の認可を得、経営の安定を図る方が得策であるとの配慮もあつて、昭和四〇年一月に入ると、早速運賃委員を増強するなどその陣容を強化し、原価計算資料、運賃査定の基礎問題の検討を開始し、原価計算にあたり課税額を見込むなど、課税を既定の事実と受けとめたうえで、運賃値上申請の具体的準備作業をするなどしており、大タク協が、本件法案提出後において、課税反対運動に比較的消極的であつたことはこれを認めることができるが、しかし、その一方では、全乗連の要請ないし指示があつたとはいえ、全乗連の行う税率軽減要求ないし課税反対の運動に参画しており、とりわけ、原判示金員供与の直前にあたり、かつ、その謀議の過程にあたる同年八月二日には、大タク協正副LPG委員長ほか五名が、大旅協(大阪旅客自動車協会の略称)LPG委員とともに上京し、全乗連、東旅協の理事会に出席し、自民党が今国会における本件法案の成立を目論んでいること、八月八日ころが山場であること、そこで八月二日から四日にかけて陳情し、八月八日に再度陳情を行うことなどの要請を受け、地元選出の衆議院大蔵委員である原田、坊両議員に反対陳情を行つているほか、同月四日には、被告人多田が上京して被告人関谷方を訪問し、法案の審議状況を聞くなどしているのであつて、これらの状況と、本件法案は、前記のとおり、もともとハイヤータクシー業者に重大な影響を与えるものであつたこと、運賃値上の認可は早急に実現する見込のないものであつたことなどを考え合すと、本件課税問題は、当時の大タク協が当面する重要課題であつたと認めるのが相当である。

(5) 本件金員供与が計画、実行された当時の国会情勢は、本件法案が近い時期に成立する状況ではなく、この時期を選んで金員を供与する必要はなかつたことなどをあげ、本件法案との関連性を否定する点についてみると、たしかに、原判示金員が供与されたのは、第四九回国会が閉会する前日にあたり、本件法案は、すでに同国会において成立する見込のなかつたことは所論のとおりであるが、本件金員供与が発議された時点においては、同国会における成立が懸念されていたものであつて、そのことは、全乗連が同年七月一二日付文書で陳情を要請していることよりしても明らかであり、また、政府原案による課税実施時期が翌四一年一月一日であつたことからすると、すくなくとも、昭和四〇年中の成立は見込まれていたものというべきであつて、法案審議の状況に照らしても、本件法案との関連性は否定できないものと考える。

(6) 本件金員供与の時期、その金額、被告人多田の経営する相互タクシーにおける政治献金の実績などから、本件を中元献金であると主張する点についてみるに、たしかに、本件は、中元の時期にからんで発議されたものであつて、被告人関谷および寿原と大タク協の関係からすると、同人らの日頃の好誼に対する謝礼の趣旨が、一部含まれていることは否定できないと思われるが、大タク協としては、従来、中元時期に献金をした実績はなく、一〇〇万円という金額は、所論のように賄賂としてけつして過小な金額とは思われず、当日実行未了分については、後援会に送金するなどせずに、結局供与を取りやめていることなどからすると、所論の諸点をとつてみても、中元献金とするには疑いがあるというべきである。

(7) 本件献金は、運賃委員長でLPG課税問題とは直接関係のない沢春蔵の発意によつていることなどをあげ、本件法案との関連を否定する所論についてみるに、たしかに、本件献金の話が具体化したのは、昭和四〇年七月二〇日の選衡委員会における沢らの発議によるものではあるが、被告人多嶋、同多田の検面調書、多嶋日記によつて認められる、同年六月二一日の同好会、同月二八日の理事会における前記のような被告人多田の発言内容よりすると、すでにそのころ、前年末に計画され一時中止していたいわゆる年末献金を実行する気運が出ており、沢の発議はこれにもとづくものと認められるのであつて、いわゆる年末献金は、課税九か月延期の党議決定に対する個々の議員に対する謝礼の趣旨で計画されたものであること、沢の発議の趣旨をみても、運賃問題との関連を見出しがたいことなどに徴すると、本件献金が決定された経緯は、むしろ本件法案との関連性を肯認させるものというべきである。

(8) 本件献金の資金関係の面からしても、本件法案との関連性は認められないと主張する点についてみるに、たしかに、本件の資金関係だけからは、本件法案との関連性を肯認することはできないが、同年七月二〇日の理事会で決定された特別負担金は、前記の同年六月二八日の理事会での被告人多田の発言内容よりして明らかなように、三木派献金として三〇〇万円支出したことにより不足を生じた、本件資金にあてるためのものであつて、これを否定する所論はとりがたく、また、被告人多田が、本件資金にあてる寄付の半額を貸付金にし、また、小川議員分を後日にするよう発言したことをもつて、同被告人の課税反対意思が強固でなかつたことの証左という所論については、寄付金が同被告人のみの負担に帰するものであることにかんがみると、直ちに所論のように解しがたいというべきである。

(9) 一億円献金、年末献金は本件献金と関係がないと主張する点についてみるに、たしかに、一億円の自民党に対する献金は、東京の業者によつて提起され、これに賛同した被告人多田が積極的に推進していつたものではあるが、もともと、免廃問題とともにLPG課税問題が起こつてきたことが直接の契機となつているものであつて、課税九か月延期の党議決定を成功とみることによつて献金実施の決定をしており、また、参議院議員の選挙時であつたとはいえ、本件法案の審議が紛糾していた時期に実行されているのであつて、これらの事情よりすれば、すくなくとも、実行の時点においては、政府与党である自民党の党議を動かし、課税問題を更に有利に展開したいとの意図があつたものと認めるのが相当であつて、一億円献金が本件と関連性を有するのは明らかである。また、年末献金については、課税九か月延期の党議決定に対する謝礼の趣旨が含まれていることは、それまでの反対運動の状況、献金が決定された経緯、その時期など関係証拠によつて認められる客観的な状況のほか、被告人多嶋ら関係者の検面調書におけるその旨の供述記載を総合すれば、優に肯認しうるところというべきであつて、年末献金が本件と関連性を有することは、前に述べたとおりである。

(10) 伝票、出張命令簿に「LPG関係出張」と記載されていることは本件法案との関連性を肯認させるものではないと主張する点についてみるに、所論のように、事務職員が、事実関係を確かめずに、経理処理の便宜等の観点から、適宜書き入れたものとは到底認めることはできず、所論の記載は、本件法案との関連性をむしろ裏付けるものというべきである。

その他、所論にかんがみ更に検討しても、被告人関谷および寿原に供与された原判示金員の賄賂性を肯認した原判決に事実認定上の誤りがあるものとは認められない。

5  被告人関谷の認識に関する事実認定について

論旨は、要するに、被告人関谷には、原判示の金員が原判示の趣旨で供与されることの認識がなかつたのに、これを肯認した原判決には事実認定上の誤りがある、というのである。

そこで、案ずるに、被告人関谷が、原判示の日に、原判示の同被告人の事務室において、被告人多田から一〇〇万円入りの金封を、自ら直接受領したと認むべきことは、前記の安永問題に関し説示したとおりであるが、前記のような、被告人関谷と被告人多田、同多嶋らとの関係、原判示金員供与に至るまでの経緯、金員供与当日の状況などを総合すれば、被告人関谷が、原判示の金員を受領するに際し、原判示の趣旨で供与されることの認識を有したことは、優に肯認しうるというべきである。

所論は、まず、原判示金員供与当日の言動には、賄賂と断ずるに足る外形的事実はなく、むしろそれは、政治献金授受の場面とみるのが自然であつて、被告人関谷は原判示の趣旨を認識しえなかつた、と主張している。

しかしながら、原判示金員供与当日においても、被告人関谷に対し、重ねて請託のなされた事実を認むべきことは前に述べたとおりであつて、この事実によれば、同被告人が原判示の認識を有していたことは明らかである。

所論は、次に、被告人関谷は、LPG課税問題は、課税九か月延期の党議により決定済と考え、大タク協に対し、じ後の対応策として、税負担に耐えうる運賃値上の申請を指導しており、大タク協が課税反対運動に消極的であつたことも知つていたから、原判示の金員が原判示の趣旨のものであることを認識しえなかつた、というのである。

たしかに、被告人関谷が、課税九か月延期の党議決定後、運賃値上申請をするよう指導している事実は認められるが、被告人多田、同多嶋らが課税反対意思を持つていることの認識を有していたことは、前に述べた同人らと面談した際などの発言内容によつて明らかであり、運賃値上申請の指導をした事実は、同被告人の原判示の趣旨の認識を否定するに足るものではない。

所論は、更に、被告人関谷は、本件の数日前にあたる八月四日、被告人多田から五〇万円を受領しており、これは政治献金として処理されているところ、八月一〇日に供与された原判示の一〇〇万円が右五〇万円とは別の原判示の依頼のための金員と認識することは不可能である、というのである。

しかしながら、八月四日に供与された五〇万円は、従来政治献金の実績のある相互タクシー株式会社からのものであるのに対し、原判示の一〇〇万円は、献金実績のない大タク協からのものであり、供与に際しては、口羽玉人、坪井準二ら大タク協理事が同行していたのであるから、両者は別異のものと認識することは可能であつたと認められ、所論は採用することができない。

その他、所論にかんがみ更に検討しても、被告人関谷につき賄賂性の認識を肯認した原判決に事実認定上の誤りがあるものとは認められない。

五  法令適用の誤りがある、との主張について

論旨は、要するに、原判決は、国会議員の職務権限を極めて広く解し、自己の所属しない委員会における審議表決や、当該委員会に属しない議員に対する勧誘説得にまでこれを拡大し、結局、その議院に係属する議案については、いついかなる場面であるを問わず、すべて一般的職務権限を有し、これに関して他の議員を勧誘説得する行為についても、時と場面とを限定することなく、すべて密接関連行為にあたるとの解釈を示し、当時衆議院運輸委員会の委員で、本件石油ガス税法案を審議していた大蔵委員会の委員ではなく、同法案の審議表決などについて全く関与しえなかつた被告人関谷および寿原正一について、職務権限があるとし、また、同法案の審議表決につき他の議員を勧誘説得する行為は職務に密接に関連する行為であるとして、被告人らを有罪としているが、かかる解釈は、国会法における委員会中心主義の本質を誤解し、かつ、密接関連行為の解釈を無限に拡大するものであつて、刑法一九七条一項の解釈適用を誤つている、というのである。

そこで、案ずるに、関係証拠によると、本件石油ガス税法案は、第四八回国会開会中の昭和四〇年二月一一日、内閣から衆議院に提出され、同月二三日、大蔵委員会に付託されたが、同国会および次の第四九回国会において継続審査となり、第五〇回国会においていつたん廃案となつてのち、第五一回国会に再度提出され、大蔵委員会での審査を経て、同国会において修正のうえ可決成立したこと、本件において収賄者とされている被告人関谷および寿原正一の両名は、いずれも、同法案提出後これが可決成立するまでの間、衆議院議員であつたが、運輸委員会の委員であつて、同法案の付託を受けこれを審査した大蔵委員会の委員ではなかつたこと、原判示の各金員は、同法案が第四九回国会の大蔵委員会で審査中の昭和四〇年八月一〇日に授受されており、その趣旨は、主として被告人関谷および寿原正一の両名に対し、同法案の審議に関し、その廃案、或いは税率の軽減、課税実施時期の延期等ハイヤータクシー業者にとつてその内容の有利な修正をもたらすようにその国会議員としての権限を行使するとともに、他の国会議員に対して同様の行動をとるように勧誘説得をするよう各依頼するものであつたこと、以上の事実が認められる。

ところで、国会議員は、国会法、衆議院規則その他の関係法令にもとづき、自己の所属する議院の本会議又は委員会において、法律案その他国政に関する各種議案の発議をし、発議又は提出された法律案その他の議案の審議若しくは審査に関し、質疑、討論、修正案の提出、表決等をなす権限を有することは明らかである。

ところで、贈収賄罪の構成要件として定められている「其職務ニ関シ」とは、当該公務員の一般的な職務権限に属する行為、およびこれと密接に関連する行為に関する場合をいうものであることはいうまでもないところである。そして、国会議員の右権限のうち、自己の所属する議院の本会議に関して有するものは、国会議員がその議員たる地位にもとづいて有する本来の権限であり、法律上、極めて重要な権限とみることができ、これらの権限は、国会議員に関する贈収賄罪の成立要件としての職務権限にあたると解するのが相当である。なるほど、所論が指摘するように、国会法その他の関係法令によれば、各議院に本会議のほか委員会を設け、議員発議の議案、内閣または他院提出の議案は、原則として、議長において直ちに所管の委員会に付託し、委員会の審査をまつて、はじめて本会議に付することとし、これら議案の実質的な審査は、委員会においてこれを行うこととするなど委員会中心主義が採用されており、委員は、議院内における各会派の所属議員数の比率により、これを各会派に割り当てて選任することになつているため、本会議における議案の審議は、委員会における審査の結果に実質的に左右され、本会議において議員は、自己の所属会派の党議にしたがい、委員会の審査結果を承認または否定するという限度で、議案に関与するにすぎないのが通例ということができ、このような通常の事態を前提とし、また、国会における委員会中心主義を強調すれば、国会議員が本会議において有する上記の権限は、形式的なものに過ぎないとみることもできなくはない。しかしながら、国会における委員会制度は、議事運営を能率化し、専門的知識を有する少数の委員による適正かつ効果的な審議を期待しうることなどの効用に着目し、議事運営における技術的な必要上設けられたものであつて、委員会中心主義とはいうものの、議案の審査の一切を委員会に委ねたわけではなく、本会議の議決により、委員会の審査を省略すること、委員会で審査中の案件につき中間報告を求めること、委員会の審査に期限を付け、本会議に付する措置をとることなど、議院が委員会の権限事項に干渉しうることとされており、法制上議院の意思は、あくまでも本会議において決せられ、委員会は、議院から付託された案件等につき、いわばその予備的審査をするにすぎないということができる。それゆえ、議員は、所属議院の本会議における議案の審議に際し、委員会の審査結果と異る立場で、修正案を提出し、或いは、表決に加わることもできるのであるから、国会における議事運営上委員会中心主義がとられているからといつて、直ちに、国会議員の所属議院の本会議における審議に関する上記諸権限を、贈収賄罪の成立要件としての職務権限から除外するのは相当でない、というべきである。

また、国会議員が議院の自己の所属する委員会の委員としての地位にもとづき当該委員会に関して有する上記権限が贈収賄罪の成立要件としての職務権限にあたることはいうまでもないが、国会法その他の関係法令が、それぞれの委員会の所管事項を決め、付託案件等の審査の権限を、各委員会に分属させていること、ならびに委員の選任および変更に各種の制約を伴う一定の手続が要求されていることなどにかんがみると、自己が所属しない委員会における審査に関する当該委員会の委員としての権限についてまでも、これを贈収賄罪の成立要件としての職務権限に含ましめるのは相当でないと解すべきである。しかしながら、国会議員は、所属議院の議員としての地位にもとづいて、前記のとおり、本会議を通じて、自己が所属しない委員会の権限事項に干渉しうるほか、一定の要件の下で、自己が所属しない委員会に出席して意見を述べることができ、また、委員会で廃案の決定があつた議案につき、本会議での審議を要求する権限を有するものであつて、この限りにおいて、自己が所属しない委員会の所管事項にまで権限を及ぼすことができ、これらの権限もまた、贈収賄罪の成立要件としての職務権限にあたると解するのが相当である。

右にみたように、国会議員は、自己の所属する議院の本会議および自己の所属する委員会において、法律案その他各種議案につき、その発議をし、発議又は提出にかかる議案の本会議における審議又は委員会における審査に関し、質疑、討論、修正案の提出及び表決等をなす権限を有するほか、限定された範囲においてではあるが、自己が所属しない委員会の所管事項に干渉しうる権限を有するところ、国会議員が、これらの権限事項に関し、他の同僚議員に働きかけ、一定の議員活動を求めるため勧誘説得をする行為は、国会議員の有する上記職務権限と密接に関連する行為として賄賂の対象となるものと解すべきである。けだし、国会における議事が合議体による多数決により決せられること、また、国会法が、その五六条第一項、五七条、五七条の二において、議員が議案を発議し、その修正の動議を議題とし、又は予算につき修正の動議を議題とする場合には、一定数以上の議員の賛成を必要とする旨の規定を設けていることなどにかんがみると、議員が議場外において、法律案等の議案につき相互に協議し又は勧誘説得し合うことは、議員の有する権限行使の当然の前提とされていると解されるうえ、議事における意思形成に自己の意向を十分に反映させるためには、同僚議員に対し勧誘説得をすることが必要かつ不可欠とみることができるから、これら議場外における勧誘説得行為は、議場における権限行使を補完する一種の準備行為とみることができ、その職務権限と密接に関連するものと解すべきである。もつとも、国会における法律案等の議案の実質的審査は、これを所管する委員会において行われるのが通例であるので、勧誘説得行為は、当該委員会における各種発言および表決等に関し、その委員に対して行われるのが通例であり、これらが当該委員会の委員でない議員によつて行われた場合には、当該委員会での審査に関して権限を有しない議員によつて、右審査における権限行使に関し勧誘説得が行われることになるが、委員会における法律案等の議案の審査は、議院から付託された案件についての予備的審査であり、当該委員会の委員でない議員であつても、前記のとおり、一定の限度で、当該委員会の権限事項に干渉しうるうえ、当該委員会の審査結果がのちに本会議に上程された際には、本会議において右議案の審議に関与する権限を有しているのであるから、この場合の勧誘説得行為もまた、議員が議員としての地位にもとづいて有する上記各権限行使の準備行為とみるのが相当であつて、これら職務権限と密接に関連する行為と解すべきである。

これを本件についてみるに、被告人関谷および寿原正一の両名は、原判示犯行の当時、本件石油ガス税法案を審査していた衆議院大蔵委員会の委員ではなかつたが、衆議院議員として、同院の本会議において、同法案の審議につき、質疑、討論表決等をなす権限を有していたほか、修正案を提出し、あるいは大蔵委員会に出席して自己の意見を述べるなどの権限を有し、また、同法案の本会議における審議又は大蔵委員会における審査につき、大蔵委員会の委員やその他の同僚議員を勧誘説得する行為は、右職務と密接に関連する行為と解することができるから、同法案の衆議院における「審議、表決等をなす職務に従事していた」被告人関谷および寿原正一の両名に対する原判示各金員の供与が、その職務権限に属する行為ないし職務に密接に関連する行為に関してなされたもの、すなわち職務に関するものであるとした原判示の判断は、なんら法令の適用を誤つたものではない、というべきである。

所論は、まず、原判示金員の授受が行われた当時、本件石油ガス税法案は衆議院大蔵委員会において審査中であつて、同院本会議の議には付されておらず、同委員会限りで廃案となつて、本会議に付されないこともありえたのであるから、本会議における審議表決権を根拠にして職務権限を肯定するのは不当であり、ことに、委員会限りでの廃案を勧誘説得する行為についてまで、委員でない議員の職務と密接に関連する行為と認めた原判決の判断には矛盾がある、と主張している。

しかしながら、贈収賄罪は、公務員の職務の公正とこれに対する社会の信頼を保護法益とするものであつて、同罪にいう職務権限があるといいうるためには、当該賄賂にかかわる事項を具体的に職務として担当していることまでは必要でなく、前記のようにそれについて一般的な職務権限があれば足りると解すべきであるから、同法案が衆議院において議決を要する案件である以上、いまだ本会議の議に付されていなかつたことや、同委員会限りで廃案となりえたとの点は、職務権限を肯定する妨げとなるものではない、と解すべきである。また、委員会限りでの廃案を勧誘説得する行為は、なるほど、本会議での審議に関し勧説行為者の有する権限を否定する行為であつて、それが効を奏した場合においては、議案は本会議の議に付されないことになるが、本会議での審議に関与する権限を有する者が、その予備的な委員会審査の段階での廃案を目論み行動することは、実質的には、自己の有する本会議での権限を、先行的に行使する一種の準備行為とみうるものであるから、これを本会議での権限の密接関連行為と認めることには、なんらの矛盾もない、と考える。

所論は、次に、国会議員は、自己の所属する議院内のどの委員会にでも所属する可能性はあるが、そのためには選任行為が必要であつて、選任されて初めて委員としての権限を保有するに至るものであるうえ、委員のいわゆる差替は議員ひとりの自由意思でできるものではなく、前委員の辞任と所定の手続を経た選任行為が必要であつて、議員がどの委員会の委員にでもなりうるということは、ただ単に抽象的な可能性があるに過ぎず、また、ある議案がどの委員会に係属するか否かは、一般公務員のいわゆる職務分掌とは全く異るから、国会議員には、自己の所属しない委員会に係属する議案についての審査表決権はないものと解すべきであるのに、これを肯定した原判決の判断は誤つている、と主張している。

たしかに、国会議員は、自己が所属しない委員会に係属する議案について、その委員会の委員としての審査に関与する権限までは有しないと解すべきであるが、その議員たる地位にもとづいて、これら議案についても、一定の干渉をなしうる権限を有することは前に述べたとおりであり、これらの権限は、法規によつて明定されているところであつて、所論指摘の事項を直接の根拠とするものではない。所論は、原判決が、被告人関谷および寿原正一について、大蔵委員会において同委員としてその審査に関与する権限を肯定したことを前提とするものと解せられるが、原判決は、議員は、自己の所属しない委員会に属する議案の審査について、議員の地位にもとづく権限に属する事項に限り、一般的権限を有する旨の判断をしたものであつて、当該委員会の委員としてその審査に関与し表決に加わる権限をまで肯定したものとは解しがたいから、所論はその前提を欠くものというべきである。

所論は、また、原判決は、衆議院規則四六条により、当該委員会の委員以外の議員でも委員会に出席して意見を述べることによつて、その意見を委員会の審査や表決に反映させることができるとしているが、当該委員会に所属しない議員がその委員会に出席して意見を述べるのは極めて例外的な場合であり、意見を述べるためには委員長の許可が必要であるうえ、その意見は単なる参考意見にとどまるのであるから、具体的にそのような機会が与えられた場合であればともかく、単にそういうこともありうることだけで、職務権限を肯定した原判決の判断は誤つている、と主張している。

たしかに、当審証人長谷川峻の供述などによると、衆議院規則四六条は、ごく例外的な場合に活用されたことがあるに過ぎず、その意見は、委員会での審査の参考に供されるにとどまるものであることが認められるが、贈収賄罪の保護法益、ことに、それが公務員の職務の公正に対する社会の信頼をも保護法益にしていることにかんがみると、法規上その権限が明定されていて、贈賄者の依頼がその権限の行使をも含む趣旨のものである以上、具体的にその権限行使の機会が与えられていなくても、職務権限を肯定しうるものと解すべきである。

所論は、更に、委員でない議員は、その委員会の審査表決に関し、法令上なんらの職務権限を有しないから、委員でない議員が委員会の審査表決に関して行う勧誘説得行為は、勧説行為者に法令上なんらの職務権限がないから、職務行為そのものが存在せず、密接に関連する行為と認められる余地はないのに、これを職務と密接に関連する行為と認めた原判決の判断は誤つている、と主張している。

しかしながら、当該委員会の委員でない議員が、その委員会の審査に関する権限行使について当該委員に対してする勧誘説得行為は、議員が議員としての地位にもとづいて有する権限、すなわち、本会議における審議に関与する権限などと密接に関連する行為であると解すべきことは前に述べたとおりであつて、勧説行為者の職務権限は存在しているから、所論はその前提を欠くものというべきである。

所論は、また、委員会中心主義をとり、実質的な審査表決は委員会で行われ、本会議では形式的な審議表決しか行われない国会運営の実情にかんがみると、本会議に係属中の議案であればともかく、委員会審査段階の議案について、委員でない議員に対してする勧誘説得行為は、勧説行為者の審議表決に直接影響を与える余地はなく、職務に密接に関連する行為とはいいえないのに、これをも密接関連行為という原判決の判断は、その行為の範囲を不当に拡大するものであつて誤つている、と主張している。

たしかに、法律案等がいまだ国会に提出されず、法案作成の段階にある場合に、それに対する賛否の意見を表明し、同僚議員と協議をするなどの行為は、党議形成のための政治活動と評価することができ、本会議での審議に関し議員の有する権限との関連性は薄いというべきであるから、これをも密接関連行為と解するのは相当でないであろうが、いやしくも法律案等が議院に提出され、国会の審議に供された以上、それが委員会審査の段階にある場合であつても、のちに原則として本会議の議に付され、その際に議員は、委員会の審査結果と異なる立場で、意見を表明し、修正案を提出し、或いは表決権を行使することも可能であるから、あらかじめ本会議に上程された場合に備え、委員でない同僚議員を勧誘説得する行為は、勧説行為者の本会議での審議に関する職務を補完する準備行為であることには変りはなく、これを職務と密接に関連する行為と解したとしても、贈収賄罪の立法趣旨、その保護法益にかんがみれば、同罪にいう職務との関連性を不当に拡大したものとはいいえない、と考える。

その他、所論にかんがみ更に検討しても、原判決には所論の法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

第二検察官の控訴趣意について

論旨は、要するに、被告人関谷に対し追徴の言渡をしなかつた原判決を論難するものであつて、その要旨は、同被告人の収受した原判示第二の一〇〇万円は、同被告人において、いつたんこれを取得したのち、秘書の安永輝彦に対し、適当な時期がくるまで一時これを大タク協に保管させるように指示し、安永において、右指示にもとづき昭和四〇年八月一二日ころ、大タク協を訪れて同協会長であつた被告人多嶋に対し、その旨を伝達して右一〇〇万円入りの金封をそのまま同被告人に預け、これを預つた大タク協においては、右一〇〇万円を住友銀行上町支店に同協会名義で通知預金し、被告人関谷のために保管していたところ、本件石油ガス税法案成立後の昭和四一年一月一八日、安永からの送金依頼にもとづき、右通知預金を解約したうえ、預金にかかる一〇〇万円を、神戸銀行銀座支店の被告人関谷の後援会である松山会名義の普通預金口座に振り込み送金し、同被告人の直接支配下に戻しているのであつて、右事実によれば、原判示の一〇〇万円は、大タク協名義で通知預金されたのち、松山会名義の普通預金に転化しているから、その全部を没収しえない場合に該当するが、その不法の利益は被告人関谷において保有しているものとみるべきであり、また、仮に、大タク協に一〇〇万円を預けたことが、被告人関谷の指示によるものではなく、安永が独断でこれをしたものであつたとしても、それは同被告人の所有・支配に帰したのちの収受金員の処分行為に過ぎないから、いずれにしても、原判示第二の一〇〇万円の没収に代わるべき価額の追徴は、被告人関谷からこれをすべきであるのに、右一〇〇万円は、同被告人から大タク協に返還されたものであるとの事実を認定し、本件における追徴は、刑法第一九七条の五によるべきではなく、同法第一九条の二によつて大タク協からこれをすべき場合にあたるとして、同被告人に対し追徴の言渡をしなかつた原判決は、追徴の前提となる事実を誤認した結果、刑法一九七条の五の適用を誤つたものである、というのである。

そこで、案ずるに、原判決の没収に関する説示部分(七二頁以下)によると、原判決は、被告人関谷が収受した原判示第二の一〇〇万円については、その後安永輝彦がこれを大タク協に持参していること、右一〇〇万円を受領した大タク協では、預り金、仮受金という特別の指示のない場合の処理方法である「仮出金戻る」の伝票処理をしたうえ、大タク協名義で通知預金にしていたこと、被告人関谷がこの一〇〇万円について大タク協に保管させるように安永に指示して伝達させたことを認めるに足る証拠はないこと、この一〇〇万円が被告人関谷に返されたことをうかがう証拠もないこと、以上の理由をあげて、被告人関谷が収受したこの一〇〇万円は大タク協に預けられたものであると認めることはできず、大タク協に返されたものであるといわざるをえないとしたうえ、右事実関係の下では、この一〇〇万円は、刑法一九七条の五により被告人関谷から没収することも、また、その価格を追徴することもできないと解すべきであるから、この一〇〇万円の没収ないし追徴に関しては、刑法一九条によることになるところ、この一〇〇万円を通知預金にしている大タク協は、同条二項但書にいう情を知つてその物を取得したいわゆる第三者に該当するということができるが、右の返された一〇〇万円は、大タク協において通知預金にしたとき現物性を失つて価値に転換しており、同条一項により没収することはできないし、また、同法一九条の二によりその価格を追徴することは相当でない、として没収ないし追徴の言渡をしていないことが明らかである。

しかしながら、原判決は、別紙「事実の認定に関わる諸問題点について」の判示第五の二の(四)の3の部分(五二八頁以下)および判示第六の三の10の部分(六九七頁以下)において、原判示第二の犯行の二日後の八月一二日ころ、安永輝彦が右犯行により被告人関谷が収受した一〇〇万円入りの金封をもつて大タク協に赴き、被告人多嶋に対し、「時期が悪いから頂戴したいとき、またこちらから申し入れます」などといつて右金員を金封入りのまま手渡したこと、同被告人は辻井初男に対し適宜預金方を指示し、同人は翌一三日これを大タク協の取引銀行である住友銀行上町支店に大タク協名義の通知預金にしたこと、そして、翌四一年一月一七日安永輝彦から被告人多嶋に電話で、先般お預けしたお金を送つてもらいたいといわれ、同被告人は辻井初男に指示して右の通知預金を解約したうえ、これを神戸銀行銀座支店にある松山会名義の普通預金口座へ振り込み送金させたことなどの事実を認めており、原判決の右事実認定は、その挙示する証拠によつて優に肯認しうるところ、これらの事実、とりわけ、安永輝彦が一〇〇万円入りの金封を被告人多嶋に手渡した際の安永の発言内容、大タク協において右金員を他と分別しうる通知預金にしていたこと、安永からの送金依頼にたやすく応じ、右通知預金を解約したうえ、振り込み送金していることに徴すると、安永が被告人多嶋に一〇〇万円を手渡したその趣旨は、大タク協にそれを返還したのではなく、保管を依頼して一時預けたものと認めるのが相当である。もつとも、安永による右一〇〇万円の寄託が被告人関谷の指示によるものか否かの点については、これを直接に立証する証拠はないが、右一〇〇万円は、原判示第二の日時、場所において、被告人関谷が被告人多田から直接これを受領したと認むべきことは前に説示したとおりであり、被告人関谷と安永との間に他人が介在したことを窺わせる証拠はないから、安永は被告人関谷から右一〇〇万円入りの金封を受け取つて、大タク協を訪れたものと認むべきところ、安永は被告人関谷の秘書であつて、同被告人の指示ないし意向に反する行動は通常とらないと思われること、金額は一〇〇万円であつて、比較的に多額であるから、同被告人がこれを安永に手渡すに際し、なんらかの指示をするのが通常と思われること、安永がわざわざ東京から来阪して、被告人多嶋と会い、前記のようなことをいつて金封を渡していることなどの事情を総合すると、右一〇〇万円の寄託が被告人関谷の指示にもとづくものであることは容易に推認しうるところであるというべきであり、同被告人は、右一〇〇万円を収受してのち、秘書の安永を介して、一時これを大タク協に預けたものと認むべきである。

ところで、賄賂収受罪が成立する場合について、刑法一九七条の五が授受された賄賂又はその価額を必ず没収又は追徴すべき旨を規定していることは明白である。そして、何人に対してこれを言い渡すべきかについては、収賄者および贈賄者の双方に犯罪に関する不法の利益を保持又は回復させないのが法の趣旨とするところであるのにかんがみると、収賄者がいつたん収受した賄賂を贈賄者に返還した場合には、贈賄者から賄賂を没収し又はその価額を追徴すべきであるが、そうでない限り、収賄者から収受した賄賂の没収又はその価額の追徴をすべきであると解するのが相当である。これを本件についてみるに、原判示第二の一〇〇万円は、これを収受した被告人関谷において、封金のままで大タク協に預けたが、大タク協においては、その翌日にこれを通知預金にして保管したため、この段階で右一〇〇万円は特定性を失い、すでにその全部について没収不能の状態になつていることは明らかである。そして、大タク協が右一〇〇万円を通知預金にしたのは、前記のとおり、被告人関谷の依頼にもとづき、右一〇〇万円を保管する一つの方法としてしたものであるから、右一〇〇万円が預金によつて没収不能の状態になつた以上、刑法一九七条の五による没収に代わるべき価額の追徴は、右一〇〇万円を大タク協に寄託した同被告人からこれをすべきものと解すべきである。これに反し、同被告人が右一〇〇万円を大タク協に返したとの事実を認定し、これを根拠に同条の規定を適用せず、同被告人に対し追徴の言渡をしなかつた原判決は、追徴の前提となる事実を誤認するとともに法令の解釈を誤つた結果、刑法一九七条の五の適用を誤つたものであつて、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

原判決中、被告人関谷に関する部分は、上記の理由により、破棄を免れない。

第三結論

上記のとおり、被告人関谷の控訴は理由がないが、同被告人に対する検察官の控訴は理由があるから、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決中同被告人に関する部分を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により被告事件につき更に判決することとし、原判決が認定した同被告人に関する罪となるべき事実(原判示第二の事実)に昭和五五年法律三〇号刑法の一部を改正する法律による改正前の刑法一九七条一項後段(同被告人の判示所為は、行為時においては右改正前の刑法一九七条一項後段に、裁判時においては右改正後の刑法一九七条一項後段に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑による)、刑法二五条一項、一九七条の五後段、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を適用し、同被告人を主文二項ないし五項のとおり量刑処断し、被告人多嶋、同多田の本件各控訴は理由がないから、同法三九六条によりこれを棄却することにする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 石松竹雄 岡次郎 竹澤一格)

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